素朴な美しさで広く親しまれている「民藝(みんげい)」は、およそ100年前に民衆的工芸を意味する言葉として、(やなぎ)宗悦(むねよし)(1889年~1961年)と陶芸家の河井(かわい)寬次郎(かんじろう)(1890年〜1966年)、濱田(はまだ)庄司(しょうじ)(1894年〜1978年)、富本(とみもと)憲吉(けんきち)(1886年~1963年)によってつくられた言葉です。

民藝という言葉が公に使われたのは、1926(昭和元)年の『日本民藝美術館設立趣意書』でした。この呼びかけとともに、民藝運動が開始され、それまで注目されていなかった、暮らしとともにある陶磁器や籠、漆器、織物などの日用品のなかに名もなき手仕事の「美」を見出し、それらに鑑賞するに値する力があると評価しました。

民藝運動の創始者、柳宗悦はどういう人物であったのでしょうか。

仏教学者の鈴木大拙(1870年~1966年)は、

柳君は宗教の世界もよく解る人だから、ああいう民藝美に対する洞察が出来るのだろう。宗教の世界と美の世界は相互に深い関係のあるものだ。東洋特に日本ではそうなんだ。それを柳君はちゃんと()(きわ)めて思想化しようとする。彼でなくては出来ないだろう。偉い人だ。

(楠恭「柳先生の思い出」『柳宗悦全集』第19巻 月報)

と評したといいます。

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