また、親鸞聖人の『歎異抄』から着想を得た柳宗悦は、無名の工人がつくるものが何故美しいかの根拠を「凡夫成仏」に求め、信と美が融合したすぐれた民藝品を「妙好品」と呼びはじめました。
優れた人、上等な品等が、美しさと堅く結ばれる例が色々あることは申すまでもありませんが、私どもの心を最も惹きつけることは優れざる人、貧しい品がなおかつ美しさと固く結ばれるその不思議さを、現下に見ていただいているからであります。このことは丁度、偉大な聖僧で学僧が宗教の国を深く育ぐくみ養ったとともに、少しも学問のない、また凡々たる信者たちの間に、とても浄らかなまた、深い信仰の生活者を見るのと事情がよく似ていると存じます。仏教では後者のような信心深い平信徒を、「妙好人」と呼んでおります。
(柳宗悦『新編 美の法門』「美の浄土」)
仏教では特に信に篤く心に浄い仏者を、白蓮華に譬えて「妙好人」と呼んでおりますが、実に好き純な民器も、「妙好品」と讃えられるべきなのを切に感じます。
(柳宗悦『新編 美の法門』「美の法門」)
『美の法門』は、1948(昭和23)年柳が59歳の時に書かれました。柳の思索の道は、真宗の土徳の地南砺を訪れ、真宗の僧侶や門徒とともにすごし、色紙和讃や妙好人と出会うことにより、その思索に念仏を関連付けるようになりました。
そして、善徳寺での滞在で、その思索についての扉が開き、信美一如という真髄に分け入ることになりました。