「南無」のひと声

著者:狐野秀存(元大谷専修学院長)


みなさん、お母さんがおられますね。そのお母さんのお腹の中から「オギャー」といって産まれたとき、みなさんはなにか注文を付けたでしょうか。おそらく無条件だったと思います。「このお母さんのお腹から産まれていいものだろうか」と、そんなことを考えて産まれてきた人は誰もいません。この世に与えられた自分のいのちを無条件にすべてお母さんに任せていたでしょう。そして、お母さんが身籠ったいのちを大切に育んで、やがて時が満ちて私どもはこの世に産まれてきました。つまり、自分を全面的にお母さんに任せて、信頼して、この世にいのちを受けたわけです。


お母さんの方もそうなのです。子どもを産むときに、「この子はちゃんと親孝行してくれるだろうか」などということを思って子をお産みになるお母さんは誰もいないと思います。とにもかくにも産まれてほしいと、ただひたすら子のいのちそのものを思って産むわけです。産んでくれるお母さんも無条件、産まれてくる私どもも無条件です。お互いにすべてを任せて私どもはこの世にいのちを受けてくるのです。


ちょうど阿弥陀如来と私どもの関係もそのようなことと言えるでしょう。何ら注文をつけない。如来は「えらばず、きらわず、見すてず」と、どのようなものをも摂取不捨するという誓いを建てています。その如来の誓願を無条件に信じて、「南無阿弥陀仏」と念仏申す。そういうことが「本願招喚の勅命」といわれている「南無」のひと声です。


何のはからいもなく、お母さんの愛を素直に信じて、「オギャー」と赤ちゃんが産声をあげると共に、お母さんがお母さんになります。そのように、如来も、私どもの「南無」の一念をまって、阿弥陀仏が阿弥陀仏となって、その摂取不捨の本願が成就するのです。


月刊『同朋』2018年10月号(東本願寺出版)より


東本願寺出版発行『真宗の生活』(2020年版①)より

『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2020年版)をそのまま記載しています。

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