差別の歴史―北海道フィールドワーク―
(三池 大地 教学研究所研究員)
これは、一九七七(昭和五二)年に大師堂(御影堂)を爆破した加藤三郎氏が、翌日に大谷派へ送った「決行声明」のなかの言葉である。氏には、明治政府が推進する蝦夷地の「開拓」事業に大谷派が協力したことを批難する意図があった。この「開拓」の歴史的事実を大谷派は重く受けとめ、これまで様々な視点から考証してきた。そして私も、「開拓」や真宗史に関する足跡を尋ねるため、北海道に訪れる機会を得た(『真宗』二〇二二年十一月号、二〇二四年二月号にフィールドワーク報告記事)。
札幌を訪れた際には、北海道大学の谷本晃久氏(北海道大学大学院文学研究院教授)より、同大学札幌キャンパスの構内や周辺を案内いただいた。樹々や水に囲まれる自然豊かな学び舎や周辺には、アイヌ民族の集落があったという。しかし「開拓」の推進によって、一八七七(明治一〇)年頃にアイヌ民族は移住を余儀なくされたことを知った。
また同大学の構内にある納骨堂(一九八四年建設)を紹介いただいた。ここには、アイヌ民族の遺骨が納められている。同大学では一九三〇年代以降、先住民族に関する研究のため、アイヌ民族の遺骨を収集した。一九七〇年代頃には研究も下火となったが、遺族に遺骨は返還されないまま、医学部の一室に置かれた状態であったという。その問題を蔑ろにせず、大学全体を挙げて調査を行い、現在は遺骨の返還に取り組まれている。
北海道の先住民族であるアイヌは土地を侵略され、尊厳を冒され、差別されてきた。そのアイヌ民族の文化を知るべく、結城幸司氏(アイヌアートプロジェクト代表)の案内のもと、住まいや道具などが展示される「アイヌ文化交流センター」(サッポロピリカコタン)を訪問した。案内に随っていくと、住居には宝物置場が存在し、和人との交易で入手した漆器が供えられている。北海道の気候では漆器制作に適しておらず、アイヌ民族は自分たちで作れない物に特別な力が宿っていると考えて、大事にしたという。
このたびの訪問で、ある地域では、アイヌ民族と和人が交易を通して交流してきた面も知れたが、「開拓」という名のもとに、和人がアイヌ民族の文化のみならず居住地を侵略した事実を突きつけられた。そこには、自らの身に起きた悲鳴を沈黙し、アイヌの出自を隠して生きなければならなかった悲痛な現実が、今も存在している。これら双方の 歴史を尋ねていく必要があるだろう。
差別の歴史やその事象には、〈私たち〉の認識だけを是と判断し、そして一方的に自らの正義を振りかざし傷つけていく姿がある。そのように他者を傷つけ、また自らも傷つけている人間のあり方を、仏教では「自害害彼」(『仏説無量寿経』聖典第二版二九頁)と、私の想像を超えた世界から教えている。
(『ともしび』2024年5月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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