法語に込めた思い

私はどう生きているのか。他者に何かを「してあげる」と上からの物言いで生きているのか、それとも「えらばず きらわず みすてず」で「させていただく」と生きているのか。そんな問いに立った時、この身も心もこの世界でさえも、縁によっていただいてきたことに気づかされた。掲示板に目が留まった皆さんにも、私が感じた問いに向き合っていただければと思い、この言葉を掲げました。


掲示板に込めた思い

25歳で住職を継承してから14年間、玉泉寺の掲示板には、その時々の自身の課題やテーマなどを、法語として掲示していると語る住職の野寺真永さん。その言葉を自分事として考えていただけるよう工夫されている。その工夫の一つとして、法事の際に配る式次第の裏面に、掲示板の法語を載せ、法話でその意味を伝えられているとのこと。
「法事の後、ご自宅の壁に貼ってもらうことで、お寺まで足を運んでいただかなくても家族で見てもらえますし、それが法事のたびに蓄積していくことで、さまざまな教えに触れていただく機会にもなります。私自身、仏教に出遇い人生の固定観念がひっくり返りました。法語に触れていただく皆さんにとっても、「自分の人生はこうだ」という固定観念を見直すきっかけになればと思っています」。
お寺の果たす大きな役割である伝道について、法語を多くの方と共有したいという思いから、さまざまなアイデアを実行されている姿にあらためて学び直させていただいた。

お寺の全景

(長浜教区通信員 野村 顕俊)


『同朋新聞』 2024年4月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:長浜教区 第20組 玉泉寺(住職 野寺 真永)
※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。