相対的価値から絶対的価値へ
著者:安冨信哉
現代は格差社会であり、勝ち組や負け組という価値観があります。しかしその価値観は、時代によって変貌していくわけです。つまり私たちはそれぞれの時代における価値観に振り回されているのです。そのようなことから私たちは、世俗の価値観を超えた者にならなければならないと思うのです。以前私は、次のように書いたことがあります。
(安冨信哉『帰依三宝―仏教徒の大切なよりどころ―』東本願寺出版、九~一〇頁)
私たちのこの身は世俗の中にあるけれども、世俗を超えたものに眼を開かないと、どうしても世俗の価値観の中に縛られてしまう。つまり、人間的な物差しだとか、自己だとか、そういったものを中心に生きてしまうことになります。それはさまざまな意味で人間のひずみだとか、社会のひずみだとか、そういうものをいろいろ生み出しているのではないかと思います。いわば本尊、本当に尊いことを見失ってしまったということが、現代の大きな特徴ですね。
現代は世俗の価値が前面に出過ぎてしまい、宗教的な価値を見失っています。それによって人間としての様々な問題が出てきています。
私たち真宗門徒は、日常の生活の中で「正信偈」や『御文』を拝読させていただいているわけですが、それは「正信偈」や『御文』をとおして、世俗的な物の見方と異なる、もう一つの仏教による物の見方を学んでいくということなのです。そのような意味においても、「正信偈」を大切なお聖教として拝読したいと思っています。また『蓮如上人御一代記聞書』は「真宗論語」とも言われており、大切なお聖教です。『論語』とは孔子の言行集であり、特に封建時代、武士に親しまれた一つの手本ですが、武士にとって自らを映し出す鏡のような書物だったのでしょう。そのような意味で『蓮如上人御一代記聞書』が「真宗論語」と呼ばれたと伝えられています。
世俗的な価値観を依り処として生きるということは、例えばお金や名誉や社会的な地位等を本尊とするわけです。しかしそうではなく、私たちは仏の教えを本尊とするというようなことです。私の上に正信念仏が成り立つ時、世俗的な価値から出世間の価値へ、つまり相対的価値から絶対的価値へと転ぜられるのです。ここに人生の方向が出てくるわけです。それは念仏の智慧による生き方なのです。人知では頷けないかもしれません。しかし私たちは人知だけではどうにもならないのであり、仏智に照らされて生きていくのです。つまり人知と仏智の二つの中で生活していくのです。『御文』では「末代無智」(真宗聖典一〇〇〇頁)と言うように、私たちは末代無知の凡夫であるという一点に立ち、この娑婆を生きていくのです。それが真の生き方であると思います。人生の方向が世俗から宗教へと転ずるのです。
『真宗僧伽論―正信偈をとおして―』(東本願寺出版)より
東本願寺出版発行『真宗の生活』(2020年版⑧)より
『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2020年版)をそのまま記載しています。
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