御遠忌を機に装いを新たにした横浜別院。同時に神奈川教化センターが開設されました。神奈川4カ組に密着した教化活動を目指す同教化センターでは企画広報部会が中心となり、「語る場」としてのお寺の役割の回復を目的に、グリーフケアの公開講座を開講するに至ったそうです。講師は、同じ教区で長年「グリーフケアのつどい」を開いてきた酒井義一さん(東京教区存明寺住職)。グリーフケアの会を開くことを目標にせず、「悲しみ」を語る場としてお寺を、そして僧侶自身が自分を開いていくことができるように、講座の様子を取材してきました。
悲しみに向き合うお寺の役割
会場には、住職、坊守をはじめ、ご門徒の姿も見られます。すでにお寺でグリーフケアのつどいを始めている寺院の方や、グリーフケアについてはまったくの初めてという方まで幅広く参加されています。
坂田輪番は開会の言葉として、「僧侶が本来持っていた“生老病死”に向き合うという役割を、あらためて問い直す時機が到来している。グリーフケアへの取組みの明確な道筋はついていないが、前進するための起点となるようにしたい」と挨拶されました。
これを受けて、講座では「グリーフケア」とは具体的に何と向き合い、何を行うことなのかという内容が展開されました。
“感覚”にうったえる講義
講義は、配布の資料と共に、映像やアニメーション動画、音楽を用い、「グリーフケア」の根本である「悲しみ」とは何かということに言及されました。
資料には、以前に企画調整局から取材に伺った際の報告記事(当サイト掲載記事)も載せられており、他にも、「悲しみ」を表現する歌詞やグリーフケアのつどいの詳細、その参加者のコメントなど、受講者が持ち帰ってからも読み込んでもらえるような内容です。
酒井さんは、
「感情は目で見て確かめることはできませんが、「悲しみ」というひとつの言葉になっているということは、私だけではなく、人類みんなが感じてきたという積み重なりがあるということ。「悲しみ」を語る場を開く意義は、話すことで(悲しみを)手放すことができるということにあります。そして、その手放した「悲しみ」という感情が人と人との出会いを生み、つながるのです」
とお話くださいました。
また、藤元正樹氏の「悲しみは人と人をつなぐ糸である」という言葉をはじめ、日頃大切にされている言葉のいくつかを紹介され、
「真宗の言葉には、音楽のように人の心に入り、人の心を立ち直らせる力がある」
というご自身の活動で感じられた真宗の教えの力強さについても語られ、真宗のお寺だからこそ「悲しみ」に向き合える、語る場の当事者になれると語られました。
印象に残ったのは、寺という「場」には、日常の生活の場では丁寧に「言葉」にしてこなかった思いを言葉にすることができる力が存在しているという指摘です。
月参りや葬儀、法事の場で、寺院関係者自身が「この人には、思いを言葉にする場が必要だ」と感じた人に声を掛けていく。Facebook、ホームページ、掲示板で案内していく。こうした声掛けやお知らせには勇気が必要ですが、全国でのグリーフケア講座での「悲しみ」についての学びや、言葉への配慮についての学びを深めることで、知識やルールというものが、語る場を保つために、そして何より、寺院関係者の歩みの助けになるということが伝えられていました。
誰も代わることができない人生だから
お茶を飲みながらお寺で愚痴をこぼしたり、相談したり、世間話をしたり。寺院・門徒の双方が望む法務・儀式の効率化によって、一見不効率なようで「生老病死」の悩みに向き合う力を持っていた「語る場」の存在感は薄くなってしまいました。
お寺では相談を受けたとしても、仏事、墓地のことが多く、人生相談をを受けることは少ない、という声も耳にします。しかし、仏事、墓地に関する悩みの背景には、家族の問題、相談者自身の人生の問題が関わっていることもしばしばです。たとえば、ひと言「介護の悩み」と言っても、義父母なのか、実父母なのか、兄弟姉妹なのか、不仲なのかそうでないのか、1人1人の抱える状況は細かく異なります。注意したいのは、置かれている環境の程度の差など関係なく、悩む人の深刻さは等しいということです。
「あなたはまだましじゃない」という言葉で、その場には悲しみが受け止めてもらえないという不安が生まれる。
と酒井さんはお話くださいました。
それは1人1人が誰とも代わることができない人生を送っているからでしょう。
講義中の質疑応答の中で、あるご門徒は、
「むかし、わたしの救ったのは“時薬”でした。50年という時間がかかりました。悲しいとき、“ただお念仏しなさい”としか言われなかった時代に、こういうグリーフケアがあったなら、、、と思ってしまいます」
と、時間が経つことでしか悲しみや苦しみが和らげることができなかったという寂しさと、お寺という場でのグリーフケアへの期待する思いを語ってくださいました。
1人1人が背負うものは、誰かに代わってもらうこともできませんし、また、代わってはいけない大事なものです。人として抱える現実に向き合うというお寺の持つ力・役割の回復に向け、それぞれの現場で活動が開かれていくことが願われています。
※ 真宗教化センター しんらん交流館ホームページでは、グリーフケア特集として、1人1人が異なるのと同じように、お寺によって1つ1つ異なる独自の取り組みを紹介しています。それは、特別なお寺だからできたのではなく、いただいた縁にささやかながらも丁寧に向き合った歩みが生んだ「語る場」「聞く場」です。持続させるための仕組みや、あなたのお寺でも1歩踏み出すための勇気を与えてくれるものとなるよう、先に歩まれているお寺からの情報を、ぜひご提供いただきたいと思います。