宗祖親鸞聖人七百回御遠忌法要の円成を期として発示された教書に基づき、1962年に真宗同朋会運動は始まりました。戦後の日本社会において大谷派教団が「大谷派なる宗教的精神」(清沢満之)を教団のいのちとして回復せんと提起した信仰運動です。そしてそれは「同朋教団の確立」「同朋社会の顕現」という喫緊の課題をもった運動でありました。
であるが故に、この運動が始まってまもなく、この運動の質そのものを問いかける三つの大きな課題が顕在化しました。三つの課題とは、いずれも1969年に起きた事件を契機としています。一つは、同朋会運動に対して「法主(門首)」を中心とする教団の保守的な勢力からの抵抗が生じ、そこから引き起こされたいわゆる「教団問題」です。二つ目は、国会に靖国神社国家護持法案が提出されたことに端を発する「靖国問題」です。そして三つ目は、難波別院輪番差別事件(1967年)を契機として、この年、部落解放同盟中央本部から糾弾を受けた「部落差別問題」です。
「本願寺の危機は、日本文化の危機である」(野間宏)と指摘されたように、国家や民族と宗教の総体にかかわる日本社会の構造的矛盾が、大谷派という一教団に凝縮した形で現れました。それは、かつて親鸞聖人も、当時の仏教徒と国による、法然上人の吉水教団への弾圧として経験されておられます。国家の権力を宗教性でもって権威づけ秩序を保持する「主上臣下」の姿を照らしだし、民衆のいのちの平等への願いを「浄土」へのいのりとして見いだされました。
真宗同朋会運動を推進する中で、あらためて明治期以降の私たちの教団が、国家からの宗教統制という危機を危機と感ぜず、保護や安泰と錯覚してきた姿が浮かび上がってきました。そのことを問い糾したのは、アイヌ民族やハンセン病を患った人たち、被差別部落や沖縄で暮らす、国家より排除され、疎外され、時にいのち奪われてきた人々からの問いかけによるものでした。
さらに靖国問題を通して、宗門の近代史をあらためて振り返り、その当時の信仰の内実を問い、現在の教訓にしようという戦没者遺族の方々の声がありました。
そしてそれは、真宗同朋会運動の初期に発信された「家の宗教から個の自覚の宗教へ」というスローガンの内実を問い、深化させているように思われます。
「家の宗教」とは、国家神道や国家の宗教性に基づく差別と暴力の構造であり、「個の自覚」とは、国家と人間の緊張関係における宗教的自覚としての自由と人権の獲得に向けた、終わりなきたゆまぬ歩みのことではないでしょうか。
真宗同朋会運動が、「真の平和と平等の願いが酬報された浄土」の一員としての歩みをになうものである以上、これらの問題が惹起したのはむしろ必然でした。あらためて、私たちが願う同朋社会の質が問われています。
人権週間ギャラリー「同朋会運動のこれからに向けて」