ほとけの子 お盆

お盆とは、くわしくは「孟蘭盆」と書きます。インドのウランバナーという言葉が元になっていて、「倒懸」ともいわれます。それは、頭を下にして足を吊るされてさかさまになっていることを意味しています。そのさかさまになって苦しんでいる人をたすけようというのがお盆のはじまりです。

今日、お盆といえば、だいたいは亡くなった人がこの世に帰ってくる日といわれていて、そのためにおたくさんのお供えを用意したり、お墓まで迎えに行ったり送ったりする習慣にもなっているようです。それは、その人のために何かしてあげないといけない、お供えをすることが大切だ、と考えるからでしょう。

しかし、亡くなった人はそのことを私たちに願っているでしょうか。またお供えによって喜ばせたり、苦しみから助け出したりということができるのでしょうか。

よく考えてみれば、亡くなった人は、すでに喜びや怒りや、哀しみや楽しみなどのない静かな世界にいってしまわれたのです。ちょっとしたことに腹を立てたり悩んだりしているのは、私たちの方です。亡くなった人をどうにかしなければいけないと考えるよりも、私たち自身の生き方がはっきりしなければならないのです。

テレビがあれば、今夜はビデオやファミコンが欲しくなり、それが手に入らないとつまらなく思ってしまいます。そして思いどおりにならない原因を他の人のせいにして、自分の考えは間違っていないと思うのです。それこそがさかさまになっている生き方です。

亡くなった人は「いのちある者は必ず死ぬんだよ」と身をもって教えてくれています。急がなくてもいいことを急いだり、必要のないものを欲しがったりして、さかさまになって生きている私たちに対して、「それでいいのか」と問いかけているのです。その問いかけに出遇うのがお盆のおまいりです。

「ほとけの子」 夏のしおり お盆

『倒懸 ―さかさまということ-』 (小松教区 一楽 真)