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糸賀は法律もない中で、重症障がい児教育に取り組んだ。そのとき32歳。
糸賀は生活をともにしながら、子どもの苦しみ・痛みに心を寄せていく。
子どもとの関わり、自身の感情が揺れ動き、心動かされ、同情し、共感し、それが糸賀にとっての生命の経験であった。
「生・老・病・死」の問いを現場で考え、表現している様々な分野の方を講師に迎え、現代のすがたをみつめる「しんらん交流館 公開講演会」。
糸賀一雄 没後 50年
1968年9月、糸賀一雄さんは福祉施設新人研修の講義中、『この子らを世の光に』の真意を述べようとしたそのときに、心臓発作で倒れ、最期を迎えられました。「この子らを世の光に」は、「この子らに世の光を」ではなく、「に」と「を」の変換を通した価値観の転換。この子らは、恵みや施しを与えられる存在ではなく、自ら生命を輝かせている存在であると。
それにもっと磨きをかけ輝かそうではないか。そして、その姿に共感を呼び覚ますことによって、私たち社会を目覚めさているのである。
5月は、戦後困難な時代、障がい児福祉に取り組まれてきた糸賀一雄さんのお話を、びわこ学園の職員として勤務された経験から、遠藤六朗さんにお話をお聞きしました。その内容を動画でお届けします。
また、講演会中の資料も役立ててほしいとの遠藤六朗さんの思いから添付しています。是非、ご覧ください。
●開催日時 2018年5月23日(水)18:00~19:30
●講 師 遠藤六朗さん(元びわこ学園職員・元びわこ学院大学教授)
●講 題 糸賀一雄「この子らを世の光に」―共に生きる方へ
※動画中に時代状況を表す表現があります。
【メッセージ】
戦後の困難な時代、障がい児福祉に取り組み、そのなかで「この子らを世の光に」を唱えた糸賀一雄が亡くなって今年は50年です。この言葉は、糸賀自身がこの子らと「共に生きた」からこそ生み出し得たのではないかと思います。格差と分断が深まりつつある現在の社会で、この糸賀の言葉を噛みしめ、「共に生きる」方へと向けてみたい。糸賀の「この子らを世の光に」を考えていただくきっかけになれば幸いです。
【講演会資料】
P1 糸賀一雄 略年表(1914年生~1968年没)
P2 ~7 講演会資料「糸賀一雄「この子らを世の光に」―共に生きる方へ」