信心の共同体
著者:草間法照(三条教区勝覺寺住職)
仏教には僧伽(さんが)、つまり仏法に基づく共同体、あるいは信心に基づく共同体が必然するのかしないのか。こういう問題があるかと思います。一人で仏教書を読む、一人で法話のテープを聞く、一人で仏像を観る、一人で座禅をする、一人で写経をする、一人でお遍路(へんろ)の旅に出かける、そして心の平安を得る。そういうことは、むしろ好まれているのでしょう。しかし、そこに「信心の共同体」がないことは言うまでもありません。
しかし、本当に仏法をいただけば、とりわけ真宗の仏法をいただけば、そして本願の信心をいただけば、そこに「御同朋(おんどうぼう)御同行(おんどうぎょう)」の関係をもった「信心の共同体」が成立することを願う意欲が生まれてくる。このことは必然ではないでしょうか。本願の信心をいただけば、仏法の共同体の成立を願う意欲が起こってくる。沸々(ふつふつ)と起こってくる。あるいはしみじみと起こってくる。これは必然ではないでしょうか。なぜなら、本願の信心は私たちにお浄土を開くからです。
お浄土というのは、それこそ伝統的な徳川封建(ほうけん)教学によれば、「死んでから赴(おもむ)くきらびやかで結構な世界」というようなイメージになるのでしょうけれども、親鸞聖人はそんなことをおっしゃっていません。親鸞聖人のお浄土とは、言うなれば涅槃(ねはん)の真実功徳のはたらく世界です。涅槃の真実功徳(くどく)のはたらく世界たる浄土。その涅槃の真実功徳の一つは、私たちを孤独から解放する功徳であります。私たちを孤独から解放する功徳、つまり「あなたは、決して独りぼっちではありませんよ。浄土の家族の一員なんですよ」と教えてくださる功徳です。これはお浄土の真実功徳の中の大きな功徳の一つだと教えられております。
そのような、お浄土の家族の一員に加えられたという喜び、うなずき、感激をもって、その喜びを共にする人を見出(みいだ)していきたいと願いつつ歩んでいくような人生、生活。そういうものを開く功徳。これが、お浄土の功徳の代表的な一つだと親鸞聖人はおっしゃっています。つまり、「御同朋御同行」の交わりを開いてくれるような功徳、そして、そのような「御同朋御同行」の交わりを求めさせる功徳、これがお浄土の代表的な功徳であると言っていいかと思います。
ですから、「信心の共同体」が生まれていく。あるいは、「御同朋御同行」の関係をもった、仏法に基づく、信心に基づく共同体を願っていく意欲が起こる。これは必然なのです。
東本願寺出版発行『真宗の生活』(2014年版⑥)より
『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2014年版)をそのまま記載しています。
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