人間を忘れない
─第九回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会に向けて─
< 真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会交流集会部会チーフ 藤井満紀 >

 第9回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会が、2013年10月16日から17日にかけて東京で開催されます。前回は、東日本大震災と福島第一原発事故による甚大な被害に日本中が悲しみに沈む中、宗祖親鸞聖人750回御遠忌讃仰期間中に、親鸞さんのもと(真宗本廟)で開かれました。
 それから2年あまりの間、津波で家を流され家族を失った仮設住宅に住むご夫妻、夫を福島に残し子どもと関西へ避難して来た母子、あえて福島に残る決断をした家族の方々との出会いがあり、また、大谷派にさまざまな形で関わってくださった回復者の多田芳輔氏、曽我野一美氏、柴田良平氏との別れもありました。震災・原発事故でふるさとを失った被災者と、隔離政策で家族・ふるさとから切り離された回復者は、国の政策によって犠牲を強いられ切り捨てられた弱者なのです。

 第九回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会では、1日目のテーマを「ハンセン病問題の今と震災・原発」として、ルポライターの鎌田 氏に記念講演をお願いしました。ハンセン病問題と震災・原発事故が抱える課題の共通点を、今一度見つめ直したいと思います。
 2日目は、会場を国立療養所多磨全生園へ移し、テーマを「耳をすます そして 語り継ぐ」としました。会場となる多磨全生園は、長島愛生園や大島青松園と違い海も坂もなく、500本以上の桜並木と四季折々の花が咲く緑深い療養所です。全生学園跡地では子どもたちの遊ぶ姿があり、園内の通りを自転車に乗った市民が横切ります。一見のどかな風景ですが、ここに隔離収容の歴史があったことは厳然とした事実です。2日目の午前に行われるフィールドワークで全生園の歴史にふれ、午後からはスピーチに耳をすまし、大いに語り継ぎ、結び合いたいと願っています。
 ハンセン病療養所入所者の平均年齢は82歳を超え、在園者数は2100人に減少しています。前回の交流集会では、「せめて“生きていて良かった”と言える人生であってほしい。そして最後のひとりまでではなく、たとえ最後のひとりがいなくなっても私たちの学びと交流に終わりはない」ということを確認しました。その時に採択された宣言には、「同朋会運動としてハンセン病問題に取り組む」とあります。今回のメインテーマ「人間を忘れない」とは、人間が人間であるために目の前の人をひとりの同朋として見出していくこと、まさしく同朋会運動としてハンセン病問題に取り組む第一歩だと思います。
 今回は1泊2日の参加しやすい日程です。皆様の参加を心からお待ちしております。
 

叫ぼう、東京集会で
─思い続け、語り続け、忘れない─
< 第9回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会・東京集会準備委員会 副委員長 砂川 昇 >

 人は、誰にも語れない暗い過去を持つ。それが世間に知れることを恐れて生きていた場合、どうなるだろうか。自然に人と語ることを避け、心から笑うこともなく、無口なままに時の流れの中に身を沈めて生きていくことだろう。
 振り返れば、私の生きざまも十数年前まではそのようなものであった。ハンセン病療養施設の退所者という、30代後半から社会復帰した生活は、職場の中でもそれを隠すことに必死になっていた。
 しかし、時の流れは私を見捨てなかった。らい予防法違憲国家賠償請求訴訟での勝訴判決、それを境に私の周辺はめまぐるしく変化していった。世間には多くの理解者、支援者がいることを知り、その輪の中に導かれていく自分に不思議さを覚え、本当に世の中は変わっているのだろうか、と信じられない思いであった。私の人生の岐路と言えるだろうか、多くの支援者との交流の中で、特に親密さを感じたのが、真宗大谷派の人たちであった。しかし、心のどこかに、この人たちも時が経てばいつの日か友という名を忘れて去りゆく人たちであろうと思っていた。
 2002年5月に、第4回真宗大谷派ハンセン病交流集会が群馬県草津の「栗生楽泉園」で開かれた。私も妻を伴って初めて参加した。多くの支援者がいることを妻にも知ってほしかったからである。私の心の中には自分の過去を恥じる思いが残っており、真宗の人たちとの交流で、それが少しでも解放できればと思っていた。
 どこまで本気で付き合ってくれるだろうか、と不安な気もあったが、同じ部屋で同じものを食べ、酒を酌み交わし、語り合う中で、親近感が増し、この人たちの本気度は本物だと感じたのである。思えば、その時から私の人生観は変わったような気がする。
 そして、交流集会も回を重ね、今年は第9回の全国交流集会が10月に東京で開催予定となっている。私はこれまで、真宗大谷派の人たちとの交流の中で自分自身も真宗の門徒となり、共に学びゆく中でその喜びを感ずる生活を送ることができている。
 東京での集会では、また新たな出会いがあるだろう。日本では不幸な東日本大震災もあった。それに伴う原発事故で故郷に帰れない方たちも多勢いる。私たちは、この東京集会で「思い続け、伝え続け、決して忘れない」と、共に力強く叫ぼう。そして、出会うであろう新たな友、なつかしい友と語り合おうではないか。

 

《ことば》
入園後十年の寿命だ

< 名古屋教区 加藤久晴 >

 1951(昭和26)年に長島愛生園に入園した多田芳輔さんは、先輩の病友から「入園後十年の寿命だ」と言われ、「自分の寿命は36才で終わるのか」と考え、ずいぶん慌てたと話されていました。
 その多田さんが、昨年12月31日に亡くなられました。年明けて1月3日のお通夜に駆けつけました。通夜の会場に入ると、棺が二つ並べられていました。もう一人は誰なのかとうかがうと、多田さんのお連れ合いで翌日の朝に亡くなられたとのこと。ご夫妻揃ってのお通夜でした。入園61年、お念仏と共に生き抜かれた生涯でした。
 私が初めて多田さんとお会いしたのは1993(平成5)年の秋でした。愛生園での一泊研修会に参加し、一緒にお勤めをした時のことです。本堂中に響き渡るひときわ大きな声でお念仏を称えている方が、真宗同朋会会長の多田さんでした。
 その後、毎年訪れる私たちに多田さんは「来年はぜひ、若い人を誘って来てください」と、毎回言われました。もっともっと伝えたいことがあったのだと思います。

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2013年6月号より