宗祖の言葉に学ぶ
前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後に生まれん者(ひと)は前を訪(とぶら)え
(『教行信証』後序、『真宗聖典』四〇一頁)

親鸞聖人の主著『教行信証』の末尾、「後序」と呼ばれる箇所にある文言で、七高僧の一人、道綽禅師(五六二~六四五)の撰述である『安楽集』から引用して記述されたものです。この文言を通して親鸞聖人は、仏による真(まこと)の言葉を採り集めて往生の利益を助けるため、『教行信証』をまとめた理由を述べようとされています。『教行信証』は、経典をはじめ様々な要文の「文類」から構成されています。要文を書き記して、伝えてきてくださった「前に生まれん者」に導かれた親鸞聖人が、「前を訪」って紡ぎ出し、「後に生まれん者」に託そうとした書物と言えるのではないでしょうか。
 
このような親鸞聖人の姿勢に学ぼうとする人びとによって、この文言は大切に受けとめられてきました。
 
一九九六(平成八)年三月号の『真宗』に、能邨英士宗務総長の「宗門近代史の検証と高木顕明師の顕彰」を主旨とした文章が、「前を訪う」と題して掲載されました。宗門内部に差別が温存され、国家に追従して幾度かの戦争に協力してきた歴史を直視することが要請されているなかで、顕彰すべき人物として高木顕明師(一八六四~一九一四)をあげています。高木師は、被差別部落のご門徒と苦悩を共にしてお念仏の生活に生き、時代状況に抗して非戦を貫いた念仏者でもありました。その営為を顕彰し、宗門が自らの過誤の歩みを検証して、あるべき宗門を生み出していく機縁としたいと述べられています。
 
先の『安楽集』の文言は「連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」(『真宗聖典』四〇一頁)と続きます。つまり、念仏の教えが連綿と受け継がれ、迷いの境界を生きる無数の人びとが救われていくことについて願われています。
 
そのような信仰世界を、富山県西部を流れる小矢部川(おやべがわ)の上流にかつてあり、刀利ダム建設のために一九六一(昭和三十六)年に解村した刀利村(とうりむら)(富山県西礪波郡、現・南砺市〈旧福光町〉刀利)で見ることができます。蓮如上人による教化で真宗の教えがもたらされたと伝えられる刀利村では、本山からの御書を拝読する法要が営まれ、各家ではお内仏を安置して日々お勤めする生活が継承されてきました。それを通して真宗村落としての刀利村があると実感され、それによって育まれた人と人のつながりを、解村した刀利村にかつて住んでいた人びとは、今も大切にしています。ただし、そのような共同体は、教団や国家の構造を下支えしたものとして機能した面もあったかもしれません。
 
このように私たちが、過去を振り返って歴史に学ぼうとする時、自分の置かれた立場や歴史性による制約と限界をともないます。それに自覚的でありながら、緊張関係を意識しつつ、その事象に向き合って解釈していくことが必要であると感じます。「前に生まれん者」たる無数の念仏者の願いを、今に生きる私たちが引き受け、「後に生まれん者」へ伝えていくことが責務なのではないでしょうか。
(教学研究所助手・松金直美)

[教研だより(151)]『真宗2019年2月号』より
※役職等は発行時のまま掲載しています。