宗祖の言葉に学ぶ
至徳の風静かに衆禍の波転ず
(『教行信証』「行巻」〔『真宗聖典』一九二頁〕)

親鸞聖人は、『教行信証』の「行巻」において、真実の行を明らかにするに際して、三国七高僧のお言葉を引用されます。そしてそれに続いて、親鸞聖人のご領解を述べておられる一段の中に、次のようなお言葉があります。
 

しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず。

 
この中にある「至徳」とは、この上ない徳ということで、念仏、南無阿弥陀仏のことを指します。この一文を、私なりに現代語訳してみますと、次のようになります。
 

ここにいたって大悲の本願の船に乗って、光明にあふれた広い海に浮かべば、この上ない南無阿弥陀仏の功徳の風が静かに吹きわたり、あらゆる禍(わざわい)の波を転じてくださる。

 
親鸞聖人は「海」を使った比喩的表現を多く使われますが、この一文もその中の一つになります。生死の海を度(わた)ることの難しさと同時にこの世を生きる難しさを示すものとして、「難度海」(『真宗聖典』一四九頁)という言葉もあります。不可思議の大悲の本願、さわりなき光明が南無阿弥陀仏となって、我々の思い煩い、悩み苦しみ、あらゆる禍を転じてくださる。そのような念仏の功徳を讃えられたものと言えます。
 
私たちは、思いもよらない出来事に出くわしたとき、どのように思うでしょうか。自分なりに善いと思うことを行い、してはいけないことをしないように努めると思います。しかしそれによって自分の思う通りにいかない場合が多くあります。またそのことによって思い悩み、苦しむのをなんとか解消しようとします。ただそれも一時しのぎにとどまり、新たな問題が浮上してきては、それらの事態に右往左往し、根本的な問題は取り残されたままになってしまいます。
 
明治時代を生きた清沢満之は、東本願寺の改革運動に邁進しました。両堂(御影堂と阿弥陀堂)の再建が成ると、そこには念仏がない、念仏を生きる人がいないとし、念仏を生きる人を育てる教育制度の改革に尽力するのです。その改革の願いに賛同する人たちが多く集まり、議論を重ねながら、改革運動を進めていきました。ところがその改革に賛同する人たちから、その運動に離反する人たちが見えてきたのです。その事態に接し、清沢は、少数の者がいくらあがいても、「天下七千ケ寺の末寺」(『清沢満之全集』第五巻六二二頁、法藏館)が以前のままであれば、折角の改革も何の役にも立たないとして、運動を切り上げます。清沢はその後、様々な聖教に触れながら、念仏に目覚めていない自分自身の姿に出遇っていくのです。
 
清沢は、「我(ワレ)他力の救済を念するときは、我(ワレ)が世に処するの道開け」(「他力の救済」、『清沢満之全集』第六巻三二九頁、岩波書店)という言葉を残しています。この一文は、念仏に出遇う時の喜びを示すと同時に、「我他力の救済を忘るゝ」(同前)自分自身の姿を見出していくことでもありました。私たちは、ああでもないこうでもないと、自らの善悪邪正の思いにとらわれますが、念仏はそのような姿を静かに照らし出し、本願の大悲に触れよと呼び掛けてくださっています。そしてその大悲に触れるということは、善悪邪正にとらわれ苦しむ私たちの姿(衆禍)が消えてなくなるのではなく、照らし出される苦悩の姿にうなずきながら歩みつづける道が開かれることを意味しています。そのような歩みを開いていく念仏の声を聞いていきたいと思います。
(教学研究所研究員・名畑直日児)

[教研だより(149)]『真宗2018年12月号』より
※役職等は発行時のまま掲載しています。