寺院活性化支援員を派遣して、お寺の現状や課題、要望をていねいにお聞きし、寺族と門徒と一緒に教化の取り組みを考える〝寺院活性化支援室 過疎・過密地域寺院教化支援”
今回は、住職不在がつづき、このたび解散手続き中である岡崎教区第28組安楽寺のこれまでの経過と、地域で支えてきたご門徒の思いについてレポートいたします。
寺院活性化支援室といたしましては、最後まで寺院が聞法道場としての機能を全うすることを念頭に、教務所と連携して、現場の状況を聞き取る中で必要に応じた教化支援の活動を行い、どこまでも「お寺があった意味を縁者が大事に受け止めるお手伝い」という観点を外すことなく取り組みたいと考えています。
1 寺の数が減っていっている
どなたでも見ることができる文化庁発行の『宗教年鑑』を過去5年調べてみると、以下のとおり真宗大谷派の寺院数は年間10カ寺以上減少続けています。
平成28年版 2015年12月31日現在、寺院8540、教会100、その他52
平成29年版 2016年12月31日現在、寺院8530、教会99、その他52
平成30年版 2017年12月31日現在、寺院8516、教会98,その他52
令和元年版 2018年12月31日現在、寺院8,492、教会94、その他52
令和2年版 2019年12月31日現在、寺院8,478、教会94、その他52
この原因は、地域の人口減少と流動・少子高齢化・地域経済の衰退などが考えられます。
お寺が減るということは、「真宗の教えが伝わる場」と「次世代に教えを相続していく」ということが困難になっていうこと。
寺院活性化支援室といたしましては、例えやむなくお寺が解散や合併せざる負えないような状況になったとしても、そのお寺のご門徒や関わりのある方々に「真宗の教えを聞くつながり」をつくっていけるようなサポートをしていきたいと取り組みを始めています。
2 岡崎教区第28組安楽寺の周辺環境(愛知県豊田市野林町)
〈寄棟造り茅葺き(トタン覆い)、庫裡や便所があったが老朽化のため取り壊された〉
〈道路から細い急坂を約20m登った高台の崖上にある〉
愛知県豊田市は愛知県のほぼ中央に位置し、2005年の市町村合併により愛知県全体の17.8%を占める広大な面積を持ち、「クルマのまち」と知られる一方で、市域のおよそ7割を森林が占めています。
安楽寺のある野林町は、合併前は東加茂郡足助町に属していました。山間のムラでこれといった産業があるわけではありませんが、大工仕事をされている方が多く、昔からある田んぼや畑を大切にし、今も炭焼きをされている方がいらっしゃいます。
公共機関までの距離としては、豊田市足助支所までは4.5km、足助病院まで3.7km、交通手段としてはコミュニティーバスで、毎週火曜日午前1本、午後1本なので生活に車が欠かせません。
また、近隣の冷田小学校まで2.4km、足助中学校まで5.3km(スクールバス通学)です。
平地ではなく山を登るので、歩いて行ったらかなりの時間がかかるとのこと。
3 お寺と地域についての聞き取り(傾聴)
寺院活性化支援室 過疎・過密地域寺院教化支援では、お寺に関わる関わる方々の思いや願いを丁寧に聞き取る(傾聴する)ことを大切にしています。
※このたびは、2021年8月23日(火)に野林町で生活されており、安楽寺の役員をされてきた梶誠(昭和8年・1933年生まれ)さん、黒柳明男(昭和21年・1946年生まれ)さんに「過疎・過密地域寺院教化支援に関する聞き取りシート」を用いてお話を聞きました。
〈寺院の概要について教えてください〉
・寺院の歴史や由来について
誰が開基住職、何年に建立されたということは分からないが、太平洋戦争の供出を免れた喚鐘があり、そこには文化10年(1813年)の銘があるから、その年からはあるのでないか。
前の住職は学校の先生を勤めながら住職をされていた。坊守さんは和裁をされていたと思う。住職は昭和41年(1966年)9月に亡くなられた。その住職以降は、ずっと近隣のお寺に住職代務者を担ってい
ただいている。
・門徒数の変化はありましたか?
3軒あったと思うが、お家がみんな途絶えた。お寺のすぐ近くに門徒宅があったわけではない。地域のお寺として3年任期、交代でお寺をおもりしてきた。
もともと集落そのものが大きくはない。
・周辺の宗教事情はいかがですか?
大谷派の寺院がたくさんあります。また、津島天王社など規模は小さいけどお宮さんがいくつもある。
・お寺周辺地域で言い伝えられている言葉はありますか?
特に・・・・。思い出したらまた言います。
・お寺での取り組み、思い出などあったらお願いします。
お寺は見てのとおりムラの中心にある。そして、なかなか見晴らしがいい高台にある。だから、ムラの集会所として会合を行っていた。当時はムラが27戸で27人で利用していた 。
足助祭りという神社のお祭りがあって、そこでは火縄銃を撃つのに参加していたのだけど、その火縄銃を保管して祭りに合わせて掃除をしていた。他には文化財になっている〝野林の木偶 付馬道具(のばやしのでく つけたりばどうぐ)″があって、足助八幡宮の例大祭・足助祭りに奉納された献馬に乗せる曽我五郎の木偶を保管していた。また、夏休みの宿題をしたり、ラジオ体操したり、遊び場だったりした。
今は老朽化のため取り壊されたが、庫裡と便所があって、便所は汲み取り式だった。便所の糞尿は街から買い付けに来る人がいて、田畑の肥料に使われていた。
住職がいなくなってからも安楽寺は会合をする場所として利用されていたが、少し手狭であるということから丘の下にある地域の消防団関係の建物を使用することになり、そこも手狭になったことから、行政の構造改善事業という取り組みを利用して新しく丘の下に集会所が建てられた。集会所が建てられた後は、会合も火縄銃や木偶の保管も移されたので、安楽寺は場所としていよいよ使われなくなっていった。集会所では集まって料理作ったり、カラオケ教室はしていたよ。
・周辺地域や集落の状況についておうかがいします。(自治体や周辺の人口の変化、地域の産業や生業、役所までの距離、地域の発展・衰退)
旧足助町は戦後は人口が2万近くいたと思うが、現在は7,000人台である。豊田市は約42万で近年横ばい。の野林地区そのものは、家が一時期35戸から27戸になった。そこでこれはいかんと過疎化を防ごうと地域の方、行政、地域問題の研究家と毎月のように協議を行い、「定住促進事業 高嶺下ファームビレッジ」という団地をつくり、12戸が増えて全39戸になった。高齢化率32%から18%になった。入ってくれた方々も地域のしきたりなどよく相談してくれて、自治会長もやってくれた。昔は1戸に7人ぐらい住んでたけど、今は3人ぐらい。
地域の産業はこれというものはない。戦時中の頃は、田んぼ、畑。蚕と米、麦、竹林。竹は当時はかなりのお金になり、周囲3・4寸(9㎝~12㎝)の小さなものは海苔網の支柱、大きなものは岐阜の番傘の材料に使わていた。冬は炭焼き。大工をやっている方も多い。竹はどんどん伸びるから切らないと本当に土地を荒らす。たけのこが出るのはいいけど。戦後しばらくしてトヨタ自動車の景気が良くなってきたら、ここら辺の人も勤め人として行った。
どこの家にも田んぼや畑はあるけど、それで食っていくのはやっぱり難しい。山だから棚田や段々畑だから農家で生計を立てられるほど収穫があるわけでもない。田植え機やトラクターを買うには何百万、ランニンングコストもかかるので、それだったら米や野菜買ってきた方が安いって話にどうしてもなってしまう。
役所までの距離は足助支所までなら約4km、豊田市役所までなら18kmで車で30分ぐらいかかる。車がないとなんにもできない。スーパーが生鮮食品や生活必需品を車で売りにはきてくれるけど。
地域が発展したとか衰退したとか、豊田市の街の中は自動車産業や高速道路や幹線道路で発展しているかもしれないが、野林地区としては正直変わらない気がする。
・お寺での法要や行事はどのようになっていますか?
基本的に13戸でお世話をさせてもらっており、役員は3年交代となっている。3年交代の最終年度に野林地区みんなが集まって安楽寺報恩講を行っている。行事としてはそのぐらい。その昔は毎年報恩講を勤めていた。
・門徒宅でのお参りや儀式はどのようになっていますか?
3軒の門徒があった時は、住職さんがお参り行かれたり葬儀を行ったりしていた。門徒もいないし、今はない。
・お寺の護持はどのようにされてきましたか?
基本的に役員さんが責任をもって行うことになっている。
今の役員さんの仕事としては、週1回のお掃除、仏花を替えること、護持金を集めること。オボクさん(御仏供)は担当になったお家が自分のところで炊いたお米でお備えしている。
建物の維持も大変で、お寺としての収入がないし、門徒としてはそれぞれ所属寺がある。そのような状況にあっても地域のお寺だからほっとくわけにはいかんと、大工さんは大工さんとしてできる修理を行ったり、役員になっているから何とかしなきゃと特別にお金を出し合ったり、やれることをやってきた。
雨漏りの跡がけっこうあるし、ある材料で直しをしているからいろんなところで木を継いだり、ダメになったところは切ったりしている。
田んぼもあって、昭和34・35年頃まで収穫していたと思う。今は荒れてしまって草刈りをする程度しかできていない。
お寺をお世話する中で、「こんな状態で次の代に引き継いでいけない」という思いを抱えながらこれまでやってきた。
・お寺が解散手続き中ですが、お気持ちをお聞かせください?
自分たちの代でお寺がなくなるのは申し訳ないという気持ちと、これまで地域でそれぞれががんばってお世話をしてきたという気持ちと、この地に生まれ育ち生まれる前からあるお寺だから寂しい気持ちとあって、なんとも言えない複雑な気持ちというのが正直なところである。「地域のお寺がなくなっていくのは残念 最後にみんなでありがとうと解散のお参りをしたい」
・お寺がなくなったときには、縁ある方がそろって解散法要をしたいということは数年前から言われていたと思いますが、どんなカタチを考えていますか?
いろいろ意見があると思うけど、私としては何もしないままお寺を閉じるわけにはいかないと思う。報恩講でお勤めしているように『正信偈』をみんなでお勤めして、法話を聞いてというカタチができたらよいと思う。
4 今後に向けて
今後、安楽寺では新型コロナウイルスの状況も考慮しながら、有縁の方々とともに解散法要をお勤めする予定となっております。そこには寺院活性化支援室が協力し、その施策の一つである「お寺に寄り添う講師派遣」で講師を派遣する予定となっております。この地に伝わり相続されてきた真宗の教えを解散法要という場で聴聞し、仏教・真宗の歴史を確かめ、それぞれの方が所属するお寺とのつながりをあらためて結び直す機縁になればと思います。
【参考】仏法継承支援について
寺院活性化支援室といたしましては、最後まで寺院が聞法道場としての機能を全うすることを念頭に、教務所と連携して、現場の状況を聞き取る中で必要に応じた教化支援の活動を行い、どこまでも「お寺があった意味を縁者が大事に受け止めるお手伝い」という観点を外すことなく取り組みたいと考えています。
言うまでもなく8,000カ寺あれば8,000通りのお寺のあり方がありますが、参考として取り組みのフローチャートと、主に聞き取りをする内容のシートを掲載いたします。
Microsoft Word – 解散合併寺院教化支援聞き取りフローチャート
Microsoft Word – 解散合併寺院教化支援聞き取りシート(電話応対用)2021年度から
★過疎・過密地域寺院教化支援に関する聞き取りシート2021.4vol3
【参考】
岡崎教区では寺院の法宝物調査をおこなっています。2021年7月5日に実施された様子です。
【注意事項】
寺院の運営については、住職・門徒で丁寧な話し合いの場を持つことが必要です。合併や解散の話し合いにおいては、より丁寧で慎重な話し合いが必要となります。そして、所属する組への対応や所轄教務所との協議や現地調査も必要となります。 このたびの安楽寺さまにつきましては、10年以上前から関係各所との話し合いが持たれていたため、すでに解散の合意ができている中での聞き取りとなっています。 仏法継承支援の取り組みでは、決して安易に合併や解散を勧めることにならないように、教務所と連携し、傾聴を旨として現場の状況を丁寧聞き取る中で、必要に応じた教化支援に取り組みます。 |