共通点
(難波 教行 教学研究所研究員)

先日、ある研修会に参加した。相模原障害者施設殺傷事件と京都ALS患者嘱託殺人事件をテーマとしたものだった。ところが、招聘された講師──介助者として長年働いてこられたその方は、二つの事件について述べるよりも、障害のある人と関わる日常を語ることに多くの時間を費やされた。
 
講演後、会場から質問があった。「二つの事件に共通する点はなんでしょうか」と。すると講師の先生は、しばらくの沈黙の後、次のように応えられた。
 
「事件の共通点を探すよりも、個別の状況を大切にしたいと感じています。」
 
こうも言われた。
 
「言葉にとらわれないことが大切ではないでしょうか。実態と合わない言葉を使うことよりも、私たち自身がそれぞれの状況を経験し、どう感じるかが重要だと思います。」
 
「意思疎通のとれない障害者は社会に不要」と述べた元施設職員によって、入所者十九人が刺殺された相模原障害者施設殺傷事件。神経難病ALSを患い、介助者探しに苦慮する中で死を望んだ女性が、医師免許をもつ二人によって殺された京都ALS患者嘱託殺人事件。どちらの事件も、社会によって規定された良い生を逸脱するなら、生きるに値しないとの考えに基づいていると言える。両事件をテーマに「共に生きるとは」と問いかけるテレビ番組も放映された。「障害」「優生思想」「自己決定権」「命の尊厳」……。共通するキーワードはたしかにある。私自身、この二つの事件によってあらわとなった問題をこうした言葉を用いて考えてきた。
 
──講師の応答によって私が問われたのは、事件の・共通点・を論じることで、そこにある苦悩まで分かったつもりになってはいなかっただろうか、ということだった。
 
もちろん、共通点を考えることがいけないわけではない。大切な意味はきっとある。しかし、共通点の分析にとどまるならば、個別の人生を生きる一人ひとりを分類し、目の前にいる人を「人」として見ないことになりかねない。それは、大枠で括られ、レッテルを貼られる痛みへの想像力を欠くことに繫がる。そしてそうした捉え方は、事件を生み出した要因に通底するとも言えるのではないか。
 
そうだった。私たちは、共に、個別の命を生きているんだ。

(『真宗』2021年9月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)

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