1924(大正13)年、柳は前年に起こった関東大震災で被災したために京都に移り、知り合った河井寬次郎とともに木喰仏の調査で各地を旅します。
その過程で、日本各地の工芸品の数々を発見しました。

 日本は、南北に長く寒帯地域から亜熱帯地域と気候の変化が大きい土地です。
そのため、各地で環境に合った生活様式を生み出され、その土地で採れる多種多様な自然の素材から工芸品が作られていきました。

 また、江戸幕府の鎖国政策により日本固有の文化が発達し、各藩が産業や文化の育成に力を注いできたことで、各地に地方色豊かな民藝品の数々が生まれていきました。

 しかし、明治維新とともに工業化が始まり、都市部では生活が近代化されつつありました。柳宗悦はそのような時流の中で、平凡な民衆が日常の暮らしで用いる日用品の中に「美」を見出し、その作り出した作品の人々とその作品の見直しを促しました。

 そして、1926(昭和元)年、柳は河井寬次郎、濱田庄司らとともに民藝運動を提唱することとなります。

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