分解と組み立て
(松下 俊英 教学研究所研究員)
少年時代、プラモデルやラジコンカーなどを組み立てるのが一番の喜びだった。のみならず、既成の玩具を分解してどのような構造になっているのかを確かめることにも熱中した。気になってしまうと時も場もかまわず、のめり込んでいたのだから、両親をはじめ、大人たちはきっと困り顔だったにちがいない。
分解や組み立ては、なにも物理的なものに限らない。他者との意思疎通をとるためのことばというのは、まさに分解と組み立てで成り立っている。他言語を学ぶ場合も、文法書にそって、その言語を分解し、意味を把握する。それによってまた、自らの使用する言語の構造も再確認できるように思う。さらに他者に思いを伝える時には、意識せずとも、ことばの「組み立て」をしている。こうしてみると、ことばの分解や組み立ても楽しいものに見えてくる。他言語の仏典を繙くのもまた然りであろう。
紀元後五世紀頃のインドにて、兄である無著菩薩の語った偈頌に、弟の天親菩薩が注釈をほどこした『中辺分別論』という唯識の論が編み出された(無著菩薩が兜率天に昇って弥勒菩薩より教えを授かり、その教えを偈頌にしたと伝説されている)。その論の中には、説かれた教えのことば通りに意味を考えるならば、本当に意図された真実を理解することはできない、と説かれている。
この論は、大乗経典、とりわけ般若経で説かれた「空」の思想を色濃く受けたものである。だから具体的に言えば、「不生、不滅、本来寂静」などの空の思想が般若経に説かれているが、そのことば通りのままに理解してはならない、と教え諭しているということである。さらには、厳しくも、ことば通りに理解することは「おろかなこと」とまで言われている。
もちろん大乗の論なのだから、主題は菩薩道である。したがって菩薩は、ことば通りのままに理解してはならない、と言われているということになる。だから、ことば通りに理解する「おろかさ」を打ち破るのは、まさに菩薩行の一つ、智波羅蜜(jñānapāramitā 最高なる智の意)のはたらきによるのだと説かれもする。
菩薩道について右のように言われているのだから、私にとって、はるかに遠い別世界のことだと考えたくなる。加えて「不生、不滅」などのことばに関しての忠告ということも、それに拍車をかけている。
しかし、そうであっても、ことばの分解や組み立てだけに喜びを見いだし、ただ仏典をことば通りに読み解くことこそが仏の教えを聞くことだと思いこんでいる自分のあり方を、鋭く照射されたようである。
少年時代の喜びは、今もなんの代わり映えもない。しかし、ことばの分解と組み立ての喜びにとどまることなく、そのことばを通すことによって真実なる教えに触れることが起こりうる。そこに、本当の喜びが与えられるのだと、今は思う。
(『ともしび』2024年2月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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