撮る人、撮られる人

写真家 八重樫 信之

  

■障害のある人

 私が撮ったハンセン病回復者の写真を見て、普通の人と変わりないじゃないか、と言う人がいます。確かに後遺症がはっきり写っていないと、なぜ撮ったのか、何の写真なのか分からない場合があります。

 ハンセン病回復者は、後遺症である垂れ下がった手や曲がった指を撮られるのを嫌がります。自分の気にする部分を執拗に撮られるのは、誰でも嫌なものです。カメラを向けると後ろに手を回したり、前に置いた上着に隠したりします。教会でオルガンを弾くTさんは写真に写った自分の手を見て「あの指がなあ」とため息をつきました。ちょっと曲がっているだけなのですが、本人は相当気にしています。また、入所者団体の役員で、公の場に出てくるような人でも、撮り直しを頼まれたことがありました。多分、曲がった指がはっきり見えたからだと思います。

 できるだけ時間をかけるのは、その人の性格や好みを知るためです。お互いに理解し合った上で、共同作業で作品を作ってゆく関係になることが大事です。その時はOKでも、次にはNOと変わることがあります。

 ある回復者の里帰りに同行して奄美大島に行ったことがあります。実家にいるその人の兄が、五本の手の指をかじかんだときのようにして見せ、「あいつ(弟)はこれだからなあ」と言いました。これはハンセン病の人を示す仕草だそうで、「スティグマ(烙印)」を押されたようなものです。こういうことがあるので、当事者は手を気にするのでしょう。

 自分事ですが、数年前にパーキンソン病に罹り、今ではステッキがないと外を出歩けない状態です。ギクシャク歩いている様子を好奇心で見られたり、同情されたりしているだろうと感じることがあります。電車の中で席を譲られると一瞬反発はするものの、楽なので座ることにしています。同情心は上から目線と言う人がいます。しかし、障害のある人の問題に関わる時、最初にその人に心を寄せることから始まるのではないでしょうか?

 試行錯誤して行き着いたのは、差別の被害者を撮ると言うよりは、その人らしい写真を撮ろうということでした。

  

■見た目問題

 2021年10月、オンラインで「見た目問題とハンセン病の後遺症」というテーマで自主ゼミが行われました。

 「見た目問題」とは、先天的(生まれつき)または後天的(事故及び病気等)な理由で、人目に触れる部分に、特徴的に目立つ症状をもつ人たちが抱える様々な困難をいいます。

 具体的な症状としては、顔や体に生まれつきあるアザ、事故や病気による傷痕、変形、欠損、麻痺、脱毛などがあります。

 ゼミで一人芝居と講演をした(かわ)(よけ)(しず)()さんは、北陸の「見た目問題」を考える会の代表です。(がん)(めん)(どう)(じょう)(みゃく)()(けい)という難病で、生まれつき鼻と上唇に変形がある当事者です。

 河除さんは小さい時から自分の見た目を気にして、「自分のような人間が話しかけても、相手は嫌がるだろう」と考え、人間関係をどうやって築けば良いのか分からなかったそうです。その後も短大時代の卒業アルバムで集合写真には入っているものの、一人ひとりの写真には入っていなかったり、部活の様子を取材に来たテレビクルーが、自分の前まで映しながら、自分から後はカットしたりと何度も嫌な目に遭いました。マイナス思考がプラスになったのは、同じ問題を抱えた仲間ができ、一緒に活動するようになってからでした。

 「どういう写真の撮り方が一番嫌ですか?」と、河除さんに聞いてみました。「それは症状を強調したり、隠し撮りして、こっそり仲間内でその写真を回すこと」だそうです。自分や他の見た目問題当事者たちが被写体となった写真展では「その人らしさが出た写真を展示しますので、報道写真とはちょっと違うと思います」。

 本人の同意をもらって撮影し、撮った写真を本人に見せ、どう使うかを説明する。さらに、その人らしさが出ていて、なおかつ報道写真として成り立つかどうかという難しい課題が残ります。

  

■遺影

 多磨全生園に通い始めた頃(1996年)、入所者の写真撮影に対する拒否反応が強く、どう撮って良いものか悩んだ末に思いついたのは、せめて遺影になるような写真を撮ろうということでした。私が所属しているハンセン病首都圏市民の会(酒井義一事務局長)の元代表、鈴木禎一さんが2019年に亡くなった時に、私が撮った禎一さんの写真を遺影として使って頂きました。なんと、23年振りに思いが叶ったわけです。写真集『輝いて生きる』(2011年、合同出版刊)の表紙も禎一さんの写真です。亡くなった時にこの写真集が枕元に置いてあったと奥様からお聞きしました。

  

■写真を通しての継承

 最近、首都圏市民の会が入・退所者の話を聞いて学ぶ連続講座や忘年会・新年会などに使わせてもらっていた中央集会所や福祉会館が壊され更地になってしまいました。療養所の将来構想は喫緊の課題と言われながら、どこで誰が計画しているのか、市民が知らないまま園内は空き地が増えています。ここに何を作るつもりなのでしょうか。

 市民にとっては、園内の活動拠点が無くなり、コロナ流行下で園への出入りが制限され、ますます療養所の市民離れが進むのではと危惧されます。

 回復者の被害を写真と文章でどう表現し、社会にどう伝え続ければ良いのか、写真家としての表現意欲が人権を傷つけていないか、いつもプレッシャーを感じます。その上、高齢化が進み、当事者が人生被害を語り継ぐことが難しくなっています。

 この問題に関わった自分たちが繋ぎ役の一端を担い、負の歴史が書き変えられ、回復者の人生被害がなかったものとされないよう、これからも見守ってゆきたいと思います。

  

多磨全生園入所者の鈴木禎一さん。2019年1月に103歳で亡くなった。自治会や全患協(現在の全療協)の活動を通して、入所者の人権回復のために一生を懸けた(2010年)
鈴木さんの葬儀で使った遺影。気に入ってもらえたかな?(2014年)

  

*ハンセン病問題自主ゼミのホームページ

https://sites.google.com/view/seminar-to-fight-prejudice

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2023年4月号より