【三浦衆を思わせる住職とご門徒の繋がり】
高島秋講がご門徒の協力なくしては勤められないと言わるのと同様に、三浦講もまた、多くのご門徒の協力によって支えられている。
準備は一ヵ月以上前から開始され、会所となる寺院は清掃に始まり、仏具のお磨き、講師や法中控室の設えや懇志受付の準備、広報ポスターの作成や掲示依頼、11ヵ寺の門徒への案内状の作成や発送、備品や志の品の発注など、事前の準備は多岐に亘る。会処寺院の住職曰く、準備期間中は作業が深夜に及ぶこともあり、法務の合間を縫って準備に取り組むようにしてきたそうである。
運営スタッフは、会処寺院のご門徒が勤められてきたそうであるが、今回の会処寺院は所属門徒も多くはなく、総代や世話方等の役員を中心に、門徒総出で運営に関わっていた。運営の中心を担っている総代は、「内陣の荘厳は、住職が全部一人で磨いていました。本堂に何台も脚立を立てて、欄間の塵一つも残さないほど一生懸命に掃除をして、小さな飾金物一つに至るまで丁寧に磨いているんです。周囲の方に聞けば、夜中まで本堂の手入れをしていたそうですし、住職がここまで頑張られるなら、私たちもお手伝いしたいと思いましてね。」という。ご門徒の皆様が少しでも参拝しやすいようにと、住職の親類が最寄駅まで送迎バスを走らせ、寺族も一丸となって三浦講の厳修を支えてきた。
三浦講当日は、巨大な勢力を保った台風が近畿地方に接近しており、最寄駅の電車も法要の終了時間前に全面運行停止になることが分かっていた。本堂に掛けられた五色幕が凄まじい勢いではためき、嵐が直前に迫っていることがわかる。それでも、会処に集まったご門徒は帰ろうとはしない。住職は、やむを得ず法要を中止することも考えたそうではあるが、総代方とも相談して、どなたにもご参拝いただくことができなかったとしても、せめて会所を勤めさせていただいた自分たちだけでも厳修しようという方針を定めたそうだ。
法要厳修の15分前、本堂は溢れかえるほどの満堂になり、回廊にまで席を設けなければ収まらないほどのご門徒が集まられた。会処寺院の住職は、目を潤ませながら「こんな嵐の中を、遠近各所からお運びいただいたことに、心より感謝申し上げるほかにございません」と頭を垂れていた。すると、会処寺院のご門徒もまた、「ありがとうございます。ようこそご参拝くださいました。こちらへどうぞ」と声を出して、ご門徒を一人ひとり丁寧にお迎えする。住職や寺族も一生懸命お迎えしているのだから私たちも気持ちをあらわそう、そんな想いが三浦講全体の雰囲気を作っているのだろう。
法要厳修直後、会所寺院のご門徒が亡くなられたとの一報が入った。住職は「亡くなられたご門徒からは葬儀のご相談をいただいていました。ご家族に数日前にお会いして、大事なご門徒の葬儀ではあるけれども、三浦講の期間だけはお伺いすることができないので、その期間だけはお許しくださいと伝えました。」とのこと。すると、そのご門徒は、「大事な行事だからわかっていますよ」とおっしゃられたという。「まるで、法要が勤めあげられるのを待ってくださっていたかのようですね。」と語る住職の目は、どこか寂しげに微笑んでいた。
【誰にも平等に開かれた聞法の会座】
参拝者を見回すと、若年層の方も参拝されており、中には20代と思われる方の姿もあった。どちらからお越しになられたのかと尋ねると、住職の依頼を受けて志の品を配達に来られた店の方であった。「遠くから配達に来られるのだから、よろしければ、一緒にお参りされませんか?」と、住職に声を掛けられたので、せっかくのお誘いを受けてお参りさせていただいたとのことだった。
住職は、「近田先生のお話は心打たれるから、聞いてもらいたいと思って誘っただけなんですよ」という。しかし、その青年にとっては、近田昭夫先生の言葉が何よりも鮮烈なインパクトを持っていた。
青年は、「仏教は、自分の思い通りにならないことを、どうにかしてもらうために聞くものではないことがよく分かりました。私が生きていく指針になるのが仏教なんですね。近田先生のお話を聞いたら、仏教がとても身近に感じられました」と述べると、とても清々しい顔つきになった。
青年が寺院の所属門徒になるかは分からない。しかし、少なくとも青年の心には、「仏教」あるいは「親鸞聖人」そして「蓮如上人」が、自分の人生とかけ離れた遠い存在ではなく、自分の人生に決定的な影響を与え得る人物、教えとして刻まれていることだろう。「親鸞や蓮如は、単なる偉いお坊さんではなく、凄まじい人生を生きて悩み苦しむ中で、仏教を指針にしていたんですね。東本願寺へお参りしてみたくなりました。井上雄彦さんが描かれた親鸞の屏風も見てみたいですし。」と嬉しそうに語る青年の姿をして、「すえとおりたる大慈悲心」の力強さがあらわれているように