ラジオ放送「東本願寺の時間」

酒井 義一 (東京都 存明寺)
第1回 地獄と極楽 [2010.11.]音声を聞く

 おはようございます。
 人生には大きな宿題があります。そのことを今朝は「地獄と極楽」ということから、ある男の子のたとえ話でお話をさせていただきたいと思います。
 その男の子の名前は健くんといいます。小学校5年生。とっても元気のいい男の子。勉強は好きではありません。何よりも遊ぶことがだ~い好き。 「ただいま~~~~!!」といって学校から走って帰ってくると、ランドセルを「ポ~~ン」と放り投げ、ゲームのいっぱい詰まったバッグを持って、「いってきま~~~す!!」と元気よく家を飛び出していきました。その時です。自動車!! 急ブレーキ!!!
 「キキキキキキキキキッ―――!!」

 気がつくと健くん、暗~い闇の中、白~い道の上をひとりトボトボと歩いていました。やがて道がふたつに分かれるところにやってくると、真ん中にエンマさまがいました。エンマさまはこう言いました。 「やあ、君は健くんだね。う~~~ん、残念だな。君はまだ死んでない。だからここから先には行くことができない。でもせっかくここまで来たのだから、ちょっとのぞいていくといいよ。左に行くと地獄、右に行くと極楽浄土。」
 健くん、最初に地獄をのぞいてみることにしました。地獄というと、こわい鬼がいたりするのではないかなと思いましたが、その世界は、私たちの世界とあまり変わりませんでした。
 そこでは人間がまるで機械の部品のように思われていました。不況・貧困・リストラ・借金・自殺…。人間に光が当たることのない現実がそこにあったのです。
 人々の心の中には、自分さえよければそれでいい、他人はどうなってもかまわない、という心がありました。実は私たちの中にあるそういう心がやがて地獄を作ります。私たちの中には、地獄を作ってしまう心があるのです。これが健くんの見た地獄という世界でした。
 次に健くん、極楽浄土をのぞいてみることにしました。さぞ人々は仲良く暮らしているのではと思ってのぞいてみると、極楽浄土は地獄とたいして変わりません。同じように人々は心に闇を抱え、時に間違いをおかす。そんな世界でした。
 でも、ひとつだけ違うことがあったのです。その極楽浄土には大きな鏡がありました。全世界を映し出すような鏡があったのです。人々は時おり、その前で立ち止まり、自分の中に地獄を生みだす心があることを照らされる、そういう居場所を持っていたのです。
 私たちにとって、このような居場所を持つということは、とても大切なことです。出世をするより、いい学校に行くより、お金持ちになるより、自分のすがたを照らされる居場所を持つということは、何よりも大切なことです。なぜならば、どれだけお金を稼いでも、どれだけ出世をしても、みんな心の中に地獄を生み出す心を持っている。それはお金では消えないのです。これは確かなことです。
 やがて健くん、もとの世界に戻る時がきました。エンマさまは最後にこう言いました。 「地獄・極楽という世界は、死んだ後に行く世界ではないんだよ。今この世の世界なんだよ。そのような中で、自分のことをしっかりと見つめる居場所をどうか見つけてほしい。それが健君の人生の宿題だよ、そう、人生の宿題だよ」 人生の宿題。健くん、勉強は嫌いです。宿題も大嫌い。だけどエンマさまが言った人生の宿題、心に残りました。何か大切だなあと思いました。
 ふっと気がつくと健くん、家の前で倒れていました。車はピタッと止まって、かすり傷ひとつありませんでした。あまりびっくりしたのでしばらく気を失っていたのでした。これが、健くんが体験した、不思議な物語です。
 私のもつ闇を照らす、そういう居場所を一人ひとりが見つけていく。これが私たちの人生の宿題です。私たちには闇があるのですから。闇があるかぎり、宿題もなくなりません。 私の持つ闇が照らされる、そういう居場所を一人ひとりが見つけていく。これが私たちの人生の宿題です。皆さん、この宿題を忘れないようにしましょう。

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