邪見・憍慢
- 【原文】
弥 陀 仏 本 願 念 仏 邪 見 憍 慢 悪 衆 生
信 楽 受 持 甚 以 難 難 中 之 難 無 過 斯
【読み方】
弥陀 の仏 は、本願念仏 の邪見憍慢 悪衆生
すること、はなはだもって信楽受持 し難 の難 の中 、これに難 ぎたるはなし過 - 【原文】
「正信偈」は、大きく三つの段落に分けられます。親鸞聖人ご自身がこれらの段落をお決めになられたのではなく、「正信偈」の教えを学びやすくするために、後の世に工夫されたものです。第一の段落は「
第一の「総讃」は「
順序を換えますが、第三の「依釈段」というのは、親鸞聖人から見られて、念仏の教えを正しく伝えてくださった大先輩が七人おられましたが、その七人の方々について讃えてある部分です。ここには、インド・中国・日本に出られた七高僧と、七高僧が教示してくださった本願念仏についての解釈の要点を掲げて、徳を讃嘆してあるのです。
第二の「依経段」は、『
次の「
そしてその次の「
これまで、この連載では、「依経段」の「弥陀章」「釈迦章」について学んできましたが、前回でもって「釈迦章」が終わりましたので、今回から「結誡」の部分に示されている教えについて確かめることになるわけです。
ここには「弥陀仏本願念仏
阿弥陀仏は、一切の衆生をもれなく救いたいという願いを
しかしながら、衆生には、「邪見」があり、「憍慢」の心が常にはたらいています。「邪見」とは、真実に背いたよこしまな考え方です。また「憍慢」は、自ら思い上がり、他を見下して満足する心のはたらきです。すなわち衆生は、邪見にとらわれ、自分を思い高めて、阿弥陀仏が願われている願いに背を向けているのです。
そのような悪衆生にとっては、阿弥陀仏の本願として施し与えられている念仏を素直な思いで受け取らせてもらい、「南無阿弥陀仏」を保ち続けることは、とてもとても困難なことであると、親鸞聖人は教えておられます。
悪衆生が、本願を喜び、念仏をいただくことは、困難なことの中でも、最も困難なことであって、それ以上の困難はないといっておられます。「邪見」や「憍慢」が妨げとなっているからです。
それはまた、同時に、阿弥陀仏が発された本願が、衆生にとっては容易には信じ難いほどの広い大慈心によるものであることを意味しています。そしてまた、衆生に差し向けられている「南無阿弥陀仏」が、衆生には受け止めきれないほどの深い大悲心によるものであることを意味しているのです。
大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘