有無の見
- 【原文】
釈 迦 如 来 楞 伽 山 為 衆 告 命 南 天 竺
龍 樹 大 士 出 於 世 悉 能 摧 破 有 無 見
【読み方】
釈 如来、迦 楞 伽 にして、山 のために衆 したまわく、告命
に、南天竺 龍 樹大 世に士 でて、ことごとく、よく出 の有無 を見 摧 せん破 - 【原文】
釈尊は、
龍樹という人は、二世紀から三世紀にかけて活躍された人です。釈尊の教えを正しく受け継がれた人です。『
このため、後に中国や日本の仏教において、「八宗の祖師」と言って龍樹
また龍樹大士は、『
釈尊の予告によりますと、その龍樹大士は、「
たとえば、人間が死んでしまっても、霊魂のようなものが実在し続けると考えるのが、「有見」です。それは、
また、人が死ねば、まったく滅尽してしまって、無に帰するのだと考えるのが「無見」です。これも、凡夫がそのように勝手に思い込んでいるだけであって、事実とは関係がないことなのです。
いずれも、凡夫が自分の思いを語っているに過ぎません。事柄の事実そのものとは、まったく関係がないのです。
凡夫というのは、煩悩にまみれた愚かなあり方をしているのだと、釈尊は教えておられます。私たち凡夫は、浅はかな知識にたより、限られた経験にもとづいて、自分本位にものごとを判断します。そして、それがあたかも「事実」であるかのように錯覚してしまうのです。要するに、ほしいままに、自分が思いたいように思い込んでいるだけですから、それは「事実」ではないわけです。
実在するのか、実在しないのか、そのようなことよりも、「実在する」とか、「実在しない」とか、そのように自分勝手に思い込んでこだわる、そのような「思い」や「こだわり」から、まずは離れる必要があると、龍樹大士は教えておられるのです。そうでなければ、自分が迷いを深めて混乱するばかりか、他人をも混乱させて苦しませることになると教えられるのです。
釈尊は、「縁起」という教えをお説きになりました。縁起の法は難解ですが、あえて一言で言いますならば、一切のものごとは、互いに他のものごとと関係しつつ成り立つのであるから、それ自体で、単独に成り立つと思うのは誤りである、ということです。しかも、その関係も、縁(条件)次第で、どのようにも変化するということです。
釈尊が説かれた「縁起」の深い内容を、龍樹大士は「
大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘