正信偈の教え-みんなの偈-

悲しい凡夫を哀れむ

【原文】
矜 哀 定 散 与 逆 悪

【読み方】
定散じょうさん逆悪ぎゃくあくとを矜哀こうあいして、


 善導大師ぜんどうだいしは、誰もが称えられる「称名しょうみょうの念仏」こそが往生の道であると教えられました。力のない愚かな凡夫が救いとられる教えこそが、釈尊のご本意であることを明らかにされたのでした。
 永い仏教の歴史のなかで、インドにも、中国にも、多くのすぐれた仏教者、思想家が出られましたが、善導大師ただお一人だけが、私たち凡夫に対して、もっとも厳しくも、もっともやさしいまなざしを向けてくださっていることを、親鸞聖人は、感動をこめて讃えておられるわけです。
 親鸞聖人は、その善導大師の徳を讃えて、「矜哀定散与逆悪こうあいじょうさんよぎゃくあく」(定散と逆悪とを矜哀して)と述べておられます。すなわち、定散の人びと、そして逆悪の凡夫は、悲しい生き方をせざるを得ない人びととして、これらを善導大師は、痛ましく、哀れに思っておられた、ということです。
 「矜哀」の「矜」も「哀」も、どちらも「あわれむ」という意味です。また、「与」は、「…と…と」という意味を表す文字です。そして「定散」は、「定善じょうぜん」と「散善さんぜん」のことです。また「逆悪」は「五逆ごぎゃく」と「十悪じゅうあく」とを短く言い表した言葉です。
 『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』は、思いもかけない出来事によって、深い悩み苦しみを経験することになった、韋提希いだいけという女性の悲しみが素材となっています。
 古代インドのマガダ国の王子の阿闍世あじゃせが、父の頻婆娑羅びんばしゃら王を牢獄に幽閉したのです。王子の母であり、王の妃である韋提希夫人ぶにんは、何とかして王を救おうとして、ひそかに食べ物などを牢獄に運んだのです。それが発覚して、王子の怒りをかい、韋提希自身も斬り殺されそうになったのでした。韋提希は殺されずに済みましたが、宮殿の一室に閉じ込められ、程なく頻婆娑羅王は亡くなったのでした。
 絶望した韋提希は、釈尊に救いを求めます。そして、憂い悩みのない、阿弥陀仏の極楽世界に生まれたいと願ったのです。釈尊はその願いに応えて、極楽浄土へ往生する方法として、十六項目の教えをお説きになったのです。
 そのうちの初めの十三項目は、阿弥陀仏の浄土のありさまや、阿弥陀仏のお姿を、心に想い浮かべる観察の方法(十三観)が説かれています。後の三項目には、人びとがそれぞれの性質や能力に応じた修行によって、浄土に往生する様子(三観)が述べてあるのです。
 善導大師は、前の十三観を「定善」とされ、後の三観を「散善」と見ておられます。「定善」は、雑念を除き、精神を一点に集中する安定した修行によっておこなう善です。一方の「散善」は、日常の散乱した心のままで修める善なのです。
 「定善」にしても、「散善」にしても、結局は、それは、自分の力を頼りにして修める自力の善なのです。ですから、善導大師は、これらの人びとを、自力という深い迷いにある者として哀れんでおられるのです。しかし善導大師は、定散の二善を、他力真実の念仏に出遇う「縁」になると見ておられるのです。
 「五逆」は、①父を殺すこと、②母を殺すこと、③阿羅漢あらかん(聖者しょうじゃ)を殺すこと、④仏のお体を傷つけること、⑤僧伽サンガ(教団)の調和を破壊して分裂させることです。このうち、前の二つは、阿闍世が該当します(母を殺しませんでしたが、殺そうとしました)。後の三つは、釈尊に反逆した提婆達多だいばだったがおこなったことです。
 「十悪」は、①生きものを殺すこと、②盗みをはたらくこと、③よこしまな男女関係をもつこと、④嘘をつくこと、⑤二枚舌を使うこと、⑥ののしること、⑦へつらうこと、⑧貪ること、⑨立腹すること、⑩愚かであることです。
 善導大師は、「定善」と「散善」の善人も、「五逆」と「十悪」の悪人も、どちらも痛ましいことと悲しまれ、哀れんでおられるのです。悪人はもとより、自力に迷う善人も、阿弥陀仏から施し与えられている念仏、「南無阿弥陀仏」を素直に受け取ることこそが、本当の意味での救いになること、感謝のうちに自分の人生を見直すことになることを教えておられるのです。
 親鸞聖人は、自力に迷い、時として悪を犯す私たちにとって、他力の称名念仏こそが救いになると述べておられるのです。

大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘

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