独り仏の正意を明かす
- 【原文】
善 導 独 明 仏 正 意
【読み方】
善導独り、仏の正意を明かせり。
前回から、「正信偈」の「善導章」を見ることになりました。親鸞聖人が、善導大師の教えを簡潔に紹介され、善導大師の徳を讃えておられる部分です。
善導大師は、いくつもの著書を残しておられますが、その代表的な著作は、『観無量寿経疏』(四巻)です。これは『仏説観無量寿経』(『観経』)の註釈で、略して『観経疏』と言われています。また、『観経疏』は四巻からなりますので、「四帖疏」とも呼ばれています。
『観経』は、古代インドのマガダという国で起こされた事件が題材になっているお経です。マガダ国の王子の阿闍世が、父の頻婆娑羅王を幽閉して、食べ物も飲み物も与えずに、死に至らしめたという事件です。王妃の韋提希夫人は、夫である王を救おうとして、ひそかに食べ物や飲み物を牢獄に運んだのです。
しかし、それが発覚して、韋提希は、激怒した王子に刃を向けられ、今にも殺害されそうになったのです。その場に居合わせた大臣たちが王子を押しとどめたので、韋提希は殺されずに済みましたが、宮殿の奥深い部屋に閉じ込められたのです。頻婆娑羅王は間もなく亡くなりました。
韋提希にしてみれば、敬愛する夫が殺されたこと、しかも殺したのは自分が生み育てた王子であったこと、さらには、夫が殺されないように、息子が殺人者にならないように、二人を救おうとした自分が息子に刃を向けられたこと、このような深刻な苦悩の中に突然投げ込まれたのでした。
韋提希は、釈尊に救いを求めました。釈尊は韋提希のために、浄土に往生する教えをお説きになりました。教えを聞いた韋提希は、阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを願い、この教えによって、心に歓喜をおぼえ、立ち直ることができたのです。
善導大師(六一三―六八一)よりも前に、『観経』の註釈はいくつも著されていました。地論宗の慧遠(五二三―五九二)、天台宗の智顗(五三八~五九七)、三論宗の吉蔵(五四九~六二三)などが、いずれもすぐれた註釈を著しておられたのです。
地論宗は、天親菩薩の『十地経論』をもっぱら依りどころにする宗派で、慧遠法師はその最高の学僧だったのです。天台宗は、『法華経』を依りどころにして、仏教の思想を大きく発展させた宗でした。その開祖が天台大師智顗だったのです。三論宗は、龍樹大士などの著作を依りどころにして、「空」の思想を大成させた学派で、その指導者が吉蔵という学僧だったのです。
善導大師は、ご自分の『観経疏』のことを「古今楷定」と名づけておられます。これは、「古の人の解釈と今(ご自分)の解釈とを比べて、解釈を正しく確定した」という程の意味です。それでは、どのように解釈が違うのでしょうか。
諸師の間にも、それぞれに解釈の違いはありますが、共通していることは、諸師はいずれも、韋提希を「大権の聖者」と見ておられるということです。『観経』には、韋提希は愚かな凡夫として説かれていますが、それは、聖者が、大衆を導くための方便として、仮にそのような姿をとっているのだと解釈されたのです。このため、『観経』は、聖者が往生するためのお経ということになります。
これに対して、善導大師は、韋提希を「実業の凡夫」と解釈しておられます。韋提希は聖者などではなく、文字通りの愚かな凡夫であり、悩み苦しみをもって生きなければならない凡夫の一例であると見ておられるのです。ですから、『観経』は、凡夫のために、浄土往生の教えが説かれているお経ということになるのです。
また、諸師は、厳しい修行によって、浄土のありさまを心に念じ続ける「観想の念仏」によらなければならないとされました。これに対して、善導大師は、そのような、特定の人にしかできない修行を求めることは、釈尊の教えのご本意ではないとして、誰もが称えられる「称名の念仏」こそが往生の道であると説かれたのです。
このため、親鸞聖人は、「善導独り、仏の正意を明かせり」として、讃えておられるのです。
大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘
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