2000(平成12)年 真宗の生活 11月 【報恩講】
<お相伴>
私の祖母は、二十二年前に七十四歳で亡くなりましたが、祖父が説教者として、一年の三百日あまりを留守にするなか、坊守として寺を守っていました。子どものころ、この祖母から聞いたり、教えられたりしたなかで、「御斎」があります。
報恩講や法事、葬儀のあとに「御斎」と称する食事がふるまわれます。父は隣のお寺や門徒さんの報恩講・法事に招かれると、必ず「御斎」を持ちかえりました。現在では、ごちそうという感覚は薄くなっていますが、三十年前の田舎ではそれなりのものでした。祖母は、父が持ちかえった御斎のすべての品々を、家族五人が等分になるように小さなものも律儀なほどに分けました。それでも幼かった私たち姉弟は、大小がないか包丁を持つ祖母の手もとを見守りました。あるとき、この儀式化した切り分けについて不思議に思い、たずねてみました。祖母からかえってきた言葉は「お相伴さまやで」というものでした。
つまり、「御斎はほとけさま、親鸞聖人からいただいたものである。めいめいが好きなもの、食べたいものだけを勝手につつき、嫌いなもの、まずいものは残して捨てるということはできない。してはならない」ということでした。持ち帰られた御斎は単なる夕餉おかずではなかったのです。如来・聖人からいただいたものであるから、どのようなものも、おとな子どもの差がないように等しく分けたのです。
報恩講で御斎がふるまわれ、席に着き、いただくことも「お相伴」と言います。法要の参詣者がお呼ばれをしますが、誰に「相い伴う」のでしようか。現在、主賓は儀式を行った僧侶と考えられているようですが、それは本来の法要の主賓が忘れ去られたためにほかなりません。
報恩講は、宗祖親鸞聖人に対して報恩謝徳を表わす、真宗門徒最重要の仏事です。報恩講の御斎の場(座)において主賓は親鸞聖人です。みんなが材料を持ち寄って御斎をこしらえると、まず聖人の御影にお供えしました。これを御影供といいます。むかしは、御斎は聖人の御影に対しての「相伴」であることを誰もが知っていました。報恩講の御斎の主賓は親鸞聖人です。だから、御斎を参詣者が食するとき「食べる」と言わないで、「お相伴」あるいは「いただく」と表現するのです。
御斎は座についた人がその場でいただいてしまうことはありません。少し箸をつけ、ほとんど経木などに包んで持ち帰り、家族みなで分けあい「相伴」しました。古来、日本では仏に供えたものと同一のものを食することで仏と心が通いあい、参詣者も連帯感が増すと考えられていました。結婚式の三三九度もそのように考えることができます。
食物はわれわれが生きていくうえで欠くことのできないものです。しかし、報恩講において、聖人の御影をまえに御斎を口にすることは、聖人が顕らかにされた真宗の教えを食物によって体感することです。信仰の面においても、生かされて生きていることを教えられ、確認する場なのです。
飽食の時代と言われることさえなくなった今日こそ、「相伴」の意義を思い、その精神を大切にしたいと思います。
『真宗の生活 2000年 11月』【報恩講】「お相伴」