2001真宗の生活

2001(平成13)年 真宗の生活 5月 【本尊】

<生きてはたらく如来>

「クソッ、何で俺はここにいるんだ」。

十四歳の秋、ある少年は中学校の校庭でうめき声をあげました。それは、自分がここに生きていること自体が()(がた)く、(うら)めしいという感覚でした。彼は、自分を勝手にこの世界のなかに放り出した親を(にく)んだりもしました。「死にたい」と思ったときに、「いのちは大切なのだから死んではいけない」という言葉を聞いて、「うるさい、いのちのお話なんてどうでもいいんだ。この俺が苦しいんだ」と、怒りがこみ上げてもきました。

自分が生きていることが怨めしいという感覚は、「自分が生きている意味は無いじゃないか。偶然(ぐうぜん)に生まれ、ただ遺伝子によって規定されて生き、偶然によって消滅(しょうめつ)するアプクみたいなもんじやないか」というものでした。また、「人問は、腹の底ではだれも信じることができないのに、お互いに利用しあい、(いつわ)りの関係を築いているだけだ。こんなインチキな世界は(たた)きつぶしたい」という、ドス黒い炎が、確かに彼のなかには燃えていたのです。
そのときから彼は、自分の内にこもったり、社会に対して叫んだり、「宗教」を経巡(へめぐ)ったりしました。そして、(やみ)のなかを()いつくばるような彷徨(さまよ)いのなかで、「宗教」や社会・正義が差し出してくる「これこそ真理である」とされることを、彼は何とか「信じよう」「納得(なっとく)しよう」と努力しました。しかし、その「真理」と「信じようとする自分」がどこまでいっても分裂(ぶんれつ)し、どうしても「信じ切る」ことができなかったのです。もう、どこにも出口は無くなっていました。

そんな時、彼は「光の人」に会いました。そして、その人が()って立っておられる「法」を聞き始めたのです。そして何年かが()ったある日、彼は「求める以前に、すでに一切は完成していた。生きる意味・世界の意味を求めるというその自分こそが、傲慢(ごうまん)そのものであった」と気づかされたのです。その時、それまで闇としか感じられなかった世界が初めて(かがや)いて見えました。と同時に、ここにいま生きていることそれ自体の喜ぴを、生まれて初めて感じることができました。

ところが、長い問間自分の存在の意味を求めていた彼は、その自己と世界との出遭(であ)いの喜びを、今度は自分の存在根拠(こんきょ)として(にぎ)りこんでしまいました。そして、出通いを()たという体験を握っているとき、彼は「得た」自分にごだわり、逆に不自由になっていました そんな窮屈(きゅうくつ)な、閉じた()り方を、出遭いにおいて彼のなかに生じたまなざしは、じっと見ていたのです。

そして先生のある「言葉」をとおして、ついに「()たと思っている私という存在は、底なしの自己関心の(かたまり)であり、それ以外の何ものでもない」ということ、そしてそのことを照らし出し、知らせてくださる光(智慧(ちえ))は、まったく「私」には属さないことを、はっきりと気づかされたのです。

その光のはたらきこそ、阿弥陀如来(あみだにょらい)(仏)です。阿弥陀如来に一切をまかせて南無(なむ)帰命(きみょう))するのは、阿弥陀の光に照らされて、自己関心と傲慢と疑いそのものであることに着地した「罪悪深重(ざいあくじんじゅう)」の自己です。その自己は、自身と世界を無条件に「尊び」「絶対に捨てない」「平等にいただく」、礼拝(らいはい)讃嘆(さんだん)する「南無阿弥陀仏の(われ)」であり、そこにこそ「南無せよ」と呼びかける、生きてはたらく「本尊」阿弥陀如来は確かにおられます。

本尊をはきりと見いだすこと、すなわち「頭が下がる(南無)」ということがなければ、どな信念を持っていようとも、自分自身と世界を尊ぶことは絶対にできず、人生に深い怨みが残ってしまうのです。

『真宗の生活 2001年 5月』【本尊】「生きてはたらく如来」