2001真宗の生活


2001(平成13)年 真宗の生活 12月 【葬儀・法要】

<メッセージを受け取る>

この春、(りょう)生活を共に送った仲間と、たいへんお世話になった大学の先生が立て続けに亡くなりました。私はショックから立ち直るまえに、新たなショックに(おそ)われました。やりきれない(おも)いでいっぱいでしたが、そんな私を(はげ)ましてくれたのは、同じようにショックを受けて葬儀(そうぎ)に参列している人たちでした。泣いたり、笑ったりして、それからの日々を過ごしました。

生きとし生けるものすべてが死んでいきます。これは事実です。そのままを受けとめる以外、私にはどうすることもできません。大切な人の死を止められたわけでもなく、仲間に迷惑(めいわく)をかけずにいられたわけでもありません。あらためて、自分一人の力では何ともしようのない”わたし”に気づかされました。

あらためて、というのはほかでもありません。日々の生活のなかで、今までに幾度(いくど)となく自分の力の及ばないことを感じてきているからです。しかし、すぐにこの”わたし”を忘れて生活しています。どこかで自分勝手な思いがまかり通ると信じながら、自分が「こうあってほしい」という思いの方に生活を合わせているのです。

今回の悲しい出来事は、そんな忘れっぼい私に「それでいいのか」と問いかけてくれました。また私は、どうしようもない”わたし”を忘れてしまうかもしれません。しかし、そういうどうにも力の及ばない”わたし”の姿を忘れずに、しっかり受けとめ直しながら生活していきたいと思います。そんな。”わたし”の確認の場のひとつとして、葬儀や法要があるように思います。

『真宗の生活 2001年 12月』【葬儀・法要】「メッセージを受け取る」