2002真宗の生活

2002(平成14)年 真宗の生活 6月 【苦】

無痛(むつう)社会>

「現代は無痛(むつう)社会となっているが、人生はどこまでも苦である」。この言葉は、がん患者さんのケア(看護(かんご)配慮(はいりょ))を研究する会のシンポジウムで聞いたものです。”無痛社会”を望む現代の風潮(ふうちょう)批判(ひはん)批判して発言されたものでした。医療(いりょう)の世界は私たちの欲望(よくぼう)反映(はんえい)でもあります。医療現場では、痛みからの解放(かいほう)ということでホスピスなどが開設され、よりよき人生を(まっと)うできるように支援(しえん)しています。患者さんは、身体的な痛みから解放されつつあります。

しかしそこに、「なぜ私ががんに(かか)らねばならないのか」「なぜ私がこんなに早く死なねばならないのか」という(うめ)きに対してどうケアしていくか、という新たな課題が生まれてきました。このような問いかけは、これまでの医療では対応できないところがあります。なぜならそれは、「私の存在の意味」を問うものだからです。

私たちは人としてこの世に生まれました。それは同時に老・病・死も(たずさ)えているということであるはずです。(えん)あって生を受け、また終えるのです。私の内容である老・病・死を見ないようにして、私に(ぞく)さないものと考えるところに、(あやま)りがあるように思われます。その事実を受けとめ「人生は苦である」と見つめるところから、その苦としての人生を超えていく歩みははじめられると思います。

「生のみが我等(われら)にあらず 死もまた我等なり」  (清沢満之(きよざわまんし)

末期患者の身体的・精神的き苦痛をやわらげ、やすらぎを与える医療・看護施設。

『真宗の生活 2002年 6月』【苦】「無痛社会」