2002真宗の生活

2002(平成14)年 真宗の生活 8月 【おぼん】

<つながりを生きる>

「おぼんには、あの()は帰ってきてるのでしょう?」

その春に、娘さんを亡くされたお母さんの一言です。私はこの問いに十分に答えることができませんでした。「帰ってきている」ということがどういうことなのか、自分の中ではっきりしなかったからです。

亡くなった人と、少しでもどこかでつながっていたいという気持ちはわかるような気がします。しがし亡くなった人の(たましい)が〈おぼん〉という時期を決めて、「あちらの世界」から「こちらの世界」に帰ってきているとするならば、どこか違和感(いわかん)を持ってしまいます。

親鸞(しんらん)さまは「親鸞は父母(ぶも)孝養(きょうよう)のためとて、一返(いっぺん)にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切(いっさい)有情(うじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり」(『歎異抄(たんにしょう)』・聖典628頁)とおっしやっています。

ここには亡くなった人に限らず、一切の衆生(しゅじょう)とともにある自分を感じられる世界が教えられているのではないでしようか。そういう世界が、お念仏によって開かれるということでしよう。そんな世界に生きたいと思います。

『真宗の生活 2002年 8月』【おぼん】「つながりを生きる」