献灯・献花
子どもたちによる献灯・献花

伊勢志摩、志摩国の国府は「こう」とよむ。国府の浜は関西屈指のサーフィンのメッカ。浜に近い境内には夏場など、木陰で休憩する人や着替えの姿もある。訪れるのは珍客だけではない。ご門徒が口を揃えて「よくここで遊んだ」と言うとおり、地元の子どもたちの声が響く。

「前住職は子どもの教化に熱心でした。だからここは『子どもを集める』のではなく『子どもが集まる』場所になっているのです」と住職はいうが、その工夫には余念がない。

三重教区の最南端にあって、教務所まで往復4時間以上、隣寺でも1時間はかかる。

孤立ながらも450年、この地に真宗が伝承されてきたことの重みと、その土徳ある寺でよそ者の自分がやっていけるだろうか、という不安を抱えて入寺した住職は一昨年、第16世を継承し、蓮如上人の御遠忌と開基道念の400回忌を勤めた。大きな法要を地元のご門徒とともに勤めることで、同じお念仏を信仰する者の信頼、寺に対する熱意と期待を感じることができたという。法要で最もチカラを入れたのは子どもたちによる献灯・献花。讃歌の楽に合わせて1歩ずつ、全員の歩調が揃うまで特訓した。

正信偈に学ぶ会
「正信偈に学ぶ会」

車を飛ばして組の活動にも積極的に関わり、そのご縁からご門徒の教化にも新しい風を吹き込んだ。「正信偈を知っているのはおとなも子どもも同じ。この歳になっても読めるだけの子どものまま。だからもう1回、子どもになったつもりでここに帰ってきた」と参加者の1人が語ってくれた。それは、仏さまの前ではおとなも子どももなく、みんな同じ「ほとけさまの子」という姿だった。

国府の墓地
国府の墓地

そのことばの証明が、浜に面した国府の墓地。そこにあるすべての墓石に「南無阿弥陀仏」が刻まれている。「家」の限定を離れて、そこに記された「釋」の名はすべて釈尊の弟子であり、南無阿弥陀仏の子の名のりだった。

(三重教区通信員 米澤典之)
『真宗 2010年(6月)』
「今月のお寺」三重教区南勢1組源慶寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。

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