富山大空襲の後、再建された富山別院。市街地に建つ。
富山大空襲の後、再建された富山別院。県庁所在地の市街地に建つ。
時を超えて振るい起つ根本道場

明治維新後、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により富山では1宗に1カ寺しか存続を認めない「合寺令」が全国的にも珍しく断行され、富山藩内の200以上の真宗寺院が1カ寺に合寺された。合寺令が解かれた後の明治13年、門信徒の強い願いと努力により現在の地に説教所が設立された。これが富山別院の始まりである。

設立後も富山大火(明治32年)、富山大空襲(昭和20年)と2度焼失するが、そのつど地域の門信徒によって復興されてきた。現在、別院前に安置されている「別院創立記念碑」は空襲の焼夷弾により前半部分は破壊されているが、残った碑文から明治の廃仏毀釈を逆縁とし、門徒が「振(ふるい)起(たつ)」ことによって別院を設立したことが読み取れる。

1986(昭和61)年に教区教化センターとして富山東別院会館が竣工。2008(平成20)年には本堂修復を経て、参拝席をカーペット張り椅子席に改修し、蓮如上人500回御遠忌法要並びに宗祖親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け法要が厳修された。この教区・別院 御遠忌法要の記念出版として、『振起─富山藩の廃仏毀釈と民衆の念仏』が発刊されている。

別院に集められた救援物資を搬出
別院に集められた救援物資を搬出

別院会館には教務所及び別院事務所をはじめ、研修ホール等、教化設備が整えられており、教区内門徒衆及び僧侶の中心道場として各種行事、学習会、会議等でフル稼働している。
また、社会教化小委員会の提案による「インターネット・ホームページ研究班」を設置、昨年より教区・別院のホームページが開設され、これまでの各報告誌などの内容を補填するとともに、ウェブの特性を活かし、時間差の少ない、より具体的な情報を敏速に提供できる態勢を整えつつある。

2011年2月ニュージーランドで起こった震災では、近隣の富山外国語専門学校の学生12人が犠牲になっており、即座に募金活動を行い、救援金等を届けた。その後の東日本大震災を受けて、教区内の若手僧侶有志による「富山教区災害復興支援ネットワーク」が設立された。同ネットワークは「最低10年の継続的活動」を掲げており、別院はその拠点として教区との連携により全面的に支援を行っていくとのこと。現在も別院会館にて救援物資の収集、仕分けを行い、本堂、別院会館では頻繁に同ネットワークの会議や報告会等を開いている。

本堂にて行われた大法話大会
本堂にて行われた大法話大会

4月からは仙台教区仏教青年会と連携して仙台教務所へ月に1~2回ワゴン車等でメンバーが直接物資の搬送を行っており、6月には現地での搬送支援のため、2年を目途にしたワゴン車の貸し出しも行った。同ネットワークが結成された背景には、2009年より毎月行われている自主学習会「別院に泊まろう!!」や教区仏教青年会があり、2010年9月には一般参加者を対象にした「大法話大会」を教区・別院後援のもと、本堂にて開催した。

県庁所在地であり中心市街地の真ん中に建つ別院の在り方を、相良晴美前輪番は「常に中心地に置かれてきた別院の成り立ちを、ぜひ今後も掘り起こし続けてもらいたい」と語った。

富山教区・富山別院ホームページ
http://toyama.higashibetsuin.com/

(富山教区通信員 佐賀枝 立)
『真宗 2011年(8月)』
「今月のお寺」三条教区第15組廣圓寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。

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