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町内が「聞法道場」となった14日間 ~210年余り続く法要~
滋賀県の琵琶湖の北東に位置する湖北地方で、昨年12月26日から今年の1月8日まで、米原市井之口の丸岡行男さんのお宅にて「湖北三郡二十二日講 乗如上人御越年法要」が勤まりました。
門徒の尽力に下付された2幅の「御影」
この法要の由来は天明8年(1788年)1月30日に発生した京都の大火により、寺院201ヶ寺、町屋36,797軒そして東本願寺も焼失したことにあります。第19代乗如上人は、本山再興の呼びかけ『焼炎の御書』を全国の門徒に発信され、自らも病身を押して全国をご巡錫されました。それを受けて全国の門徒が聞法道場の再建工事に立ちあがります。
本山周辺に、宿舎の「お小屋」を作り工事に着手され、47にもなったお小屋には、4,000人近くいたとのことです。ところが、工事が始まって4年目の寛政4年(1792年)2月22日乗如上人が49歳で御遷化されてしまいます。御子息の達如上人が再建を引き継がれたことで、焼失から13年目の享和元年(1801年)に工事が完了しました。
達如上人は尽力のあった地域の門徒に対し、乗如上人(歓喜光院)の「黒衣の御影」36幅を下付されました。湖北三郡には、2幅の「御影とお墨付(御書)」が下付され、これを機に湖北三郡(伊香郡・東浅井郡・坂田郡)は組織を編成しました。ここから、御命日に因み、210年以上続いていく「二十二日講」歴史が始まったのです。
2幅の御影とともに回る御講
「正信偈」唱和、「御書」拝読、「法話」4席の法座が12月30日~1月4日の御逗留(朝夕のお勤め)を除き、毎日夕方まで行われます。
1月8日の「御越年法要」が済んだ後も、2幅の御影は「北回り」と「南回り」2ヶ所に別れ、7月頃まで毎日「まわり仏さん」、または「鏡割りお講」という名前で続けられています。
現代で歴史をつないでいくには
しかし、歴史ある御講であっても、地元の住職や門徒全員が賛成し、難無く開催に至ったわけではありません。今年、つまり次回開催を控えている長浜市湖北町でも、数年前にのぼる準備当初は「門徒さんの行事に積極的に関わらないほうが良いのではないか」という寺院側の意見や、門徒さんのほうでも、会所を我が家で引き受けたいと思っても費用や家の準備の都合から家族に反対されたというお宅もありました。
今回開催だった米原市井之口の実行委員長の池田勇さんも、「以前は、二十二日講の担当年度が決まると先を争って、ぜひわが家で引き受けたい!と何年も前から先約の取り合いの時期もあったのに、今はそうではない。井之口でも12ヶ寺から代表者を選出し打ち合せを進めたが、どれだけお金がかかるのか、何をするのか、どれだけ参拝者が有るのかなど、当初は不安や心配が多く、意見もバラバラであった。赤字なら役員全員で負担しようと、自腹も覚悟していた」と、伝統があるということだけでは簡単に進められない現状について語ってくださいました。
こうした状況でも歴史ある御講をつないでいくために湖北町では役員が手分けし、「90年ぶりの法縁であること」「二十二日講の由来」について、ことあるごとに話し、納得してもらったそうです。納得してもらっての準備には5年の歳月を要しました。
そのかいもあり、最近「この法縁を大切にしよう!」という門徒が徐々に増え、現在では開催に向けてまとまりつつある」と湖北町の実行委員長である佐野稔さんは、そのご苦労と根気によってつなぐことのできる歴史に加わる喜びを語ってくださいました。
明確な役割分担・時間割表が参加を促した
また、今回開催の米原市井之口の事務局である山崎完一さんは、昨年や一昨年に実施した地区の事務局宅や世話役役員宅を再三訪問し教えを請い、最終的に「誰が、いつ、何をする」という詳細な「時間別担当一覧表」を作られたそうです。これにより、誰が、いつ、何をしなければならないかが明確になり、準備はスムーズに進んでいきました。
そして、始まってみると、毎日80名余りの参拝者が有り、ともにお念仏申して聞法していくうちに、嫌な顔で反論していた人も笑顔に変わっていったそうです。お賽銭や志納金も多く、最終的に予算の半分の出費で済んだとのことです。伝統行事には「誰が、どこで、何をすればよいのか」ということがわからない場合が多い。こうした不安は、明確な一覧表を作ることによって解消できるということがわかりました。
こうして、井之口での成功の工夫も受け継ぎ、今年の湖北町でも「きっと乗り越えられる」という力強い声が高まっています。
二十二日講の林孝八世話役会長も、「この時代だからこそ、この火を消してはならない。実施していくことがまず大切である。そのために、今後本部においても「進め方マニュアル」をもっと詳細に作っていく。本部で購入する物品を増やし、貸出して担当地区が必要最小限の購入で済むようにしていく。二十二日講の動画作製を進め、各地区の世話役61名に貸し出し、不安や心配や金銭負担を少しでも減らしていく。そして何よりこの講の理解を深めてもらう事を重点に、今後進めていく」と、時代に合わせた御講の開催準備の工夫点を惜しみなく語ってくださいました。
取材を終えて
~迷いを翻せ~
「德水流れを分かちて宝樹をめぐる 波を聞き楽を覩て恬怕を證す 言を寄す有縁の同行者 努めて迷いを翻して本家に還れ」 と御影の御讃文には善導大師往生来讃日中偈が記入されています。
何年前からにもわたる準備期間から含め開催期間まで。そこで起こるすべてのことに、損得や善悪に「執着しこだわる自分の思い」を翻して、本家(真宗)にかえれと呼びかけておられることに気づかせていただく機縁があります。それがこの「二十二日講」のもつはたらきでしょう。そのように感じた取材でした。
(長浜教区 通信員 國友 強)
参考資料 長浜教区満徳寺住職 佐藤 義成 著・発行 『真宗本廟両堂再建について』