【26日】
10時 七尾市中島町のお寺の目の前に海で、能登島が見える大谷派のお寺へ
快晴ですが、そんなに暑くない!!さわやかな風!!そして美しい能登島!!
【お話を聞いたその一部】
●上杉謙信が能登に攻め入って、焼失したため、300年ぐらい前に今の地に建った。
●過去には、兄弟が分家して、門徒も増えたけど、今は兄弟が少ないし、仕事を求めて七尾市街や、金沢に出て行く。
●漁業、農業では厳しいから、みんなサラリーマン化した。
●昔ながらのお講を毎月、永代祠堂経、報恩講は続けている
●念仏の声が自然と聞こえんようになってきた。家族で育ったら、お前も参れと相続できるのに。
etc..
14時 七尾市中島町のお寺の目の前は広大な田んぼで、稲が実る大谷派のお寺へ
【お話を聞いたその一部】
●人口減。農機具が壊れたら何百万もして、なんともならんから、農業も会社化するようになった。
●教員やってて、住職が倒れたもんだから、寺のことなんにも分からなくて苦労した。
●三回忌までは必ずといっていいほど法事は勤まるけど、七回忌以降はガクッと近年減った。ただ、お講はや法要、永代祠堂経はきちっとしてる。
●昔から近隣のお寺で仏事を協力して行ってきた。お講も。
●ほぼ葬儀は七尾か中島の葬儀会館だね。家だと何から何まで、周りの家と協力が必要。人に迷惑かけたくないという意識
etc..
【27日】
10時
七尾市中島町のお寺の目の前は田んぼが広がる、大谷派ではないお寺へ
●昔から田舎だからね。やっぱり若い人は仕事で七尾、金沢に出て行く。人口減。
●だいたい毎月、お寺で法要があり、お斎が必ずある。
●葬儀会館で葬儀がほぼ100%、近年は通夜の参列の方が多い。
●儀式は簡略化できない。
●檀家を増やそうと思えば増やせると思う。しかし、ちゃんとご縁を1つ1つ大切にしようとすれば、増えればいいという話じゃない。
●世襲じゃないから、妻や子どもには住職が死んだら寺を出なきゃいけないと言ってるんだ。
●この先はわからない。日頃の結果が出るのは、1代先だから。
14時 七尾市中島町のお寺の目に田んぼが広がる大谷派でないお寺へ
●5月と9月の田んぼの忙しいとき以外は、毎月お講がある。講頭は世襲。いろんな役は、門徒で決めている。
●女人講、若衆講、太子講の地区の講もある。江戸時代は基本村人の集まりは禁止されてたからね。講なら許されたから。
●法要で懇志をいただいたら、みんな本堂に張り出す。みんなよく見ていくよ。
●仏教会で、いろいろと他宗派とも協力はしている。
●年始に、その年の年忌法要があたるご門徒に年忌札(〇回忌、死亡年月日、法名、施主)を配る。
●寺檀制度で、寺は死ばかりを扱うようになってるけど、本当は生老病死だ。もっと僧侶の仕事を増やしたい。
●人間の人生に寄り添うのが宗教。子どもには、宗教家で感謝する心を伝えたい。
etc…
調査での、ほんの一部をお伝えしました。
能登特有の、別の家族との間で親子関係を結ぶ「烏帽子親制度」、村の外に嫁いだ者で1年間の内に実家の親を亡くされた方がお参りする「こんごう参り」。今もしっかりと続くお講、教えを伝えるための工夫が見られました。