東本願寺(京都市)に泊まり込み、仏教を学ぶ研修「奉仕団」。2018年11月、新たな形の奉仕団が開催されました。その名も「林家奉仕団」。お寺を預かる傍ら、自坊の山で林業を営む浜口和也さん(四国教区誓願寺住職)が林業仲間に声を掛け、初めて実現した奉仕団です。1泊2日の林家奉仕団の様子をお伝えします。
集合写真。企画したのは浜口和也さん(前列左から2番目)
■きっかけ
今から4年ほど前。浜口さんは農業を営む門徒による「農家奉仕団」に参加しました。「一切衆生(一切の生きとし生けるもの)のための農業とは」。そんな問いを話し合う集いに、とても刺激を受けたそうです。そこで「浄土真宗と林業」というテーマで奉仕団を開催しようと思い立ち、仲間を募りました。
それに応じたのが、上垣喜寛さん・明日菜さん夫妻(千葉県船橋市)でした。夫妻の本業は記者。和歌山県には喜寛さんの祖父母の山があります。5年前、「自伐型林業」と呼ばれる林業形態と出会い、仲間とともにNPO法人自伐型林業推進協会を立ち上げました。
今回の奉仕団にはもう一人、キーマン(要となる人物)が参加していました。徳島県那賀町の橋本光治さん。この橋本さんこそ、上垣さん夫妻と浜口さんが「先生」と呼ぶ、自伐型林業の先駆者です。
橋本さんは32歳の時に勤めていた銀行を辞め、義父が持っていた山で林業を始めました。以来40年。小規模(110ヘクタール)ですが、通常の20倍以上の密度で林道を張り巡らし、一帯の木をまとめて伐採するのではなく、必要な分だけ切る「択伐」にこだわってきました。大きな木が育ち、たくさんの種類の木が育つその山は、自伐型林業の1つの理想型とされています。
このほか、浜口さんのお連れ合いと息子さん、上垣さん夫妻の2人のお子さん、そして浜口さんが預かるお寺で僧侶となったスイス出身の女性が参加しました。
今回の奉仕団を開催した狙いは、主に2つだったと浜口さんは語ります。ひとつは世界最大級の木造建築とも言われる東本願寺のお堂を実際に眺めながら、林業という仕事の意義を今一度確かめ合うこと。もうひとつは、人間の罪を見つめ、生きとしいけるものと共に生きようとした親鸞さんの考えをともしびとして、林業の今後を考えることです
御影堂を参拝し、成り立ちや建材について話し合う参加者たち
■講義と座談
奉仕団は、自己紹介からスタート。東本願寺の境内を見学した後、講義を聞きました。講師は、大分県由布市の日野詢城さん(日豊教区大分組見成寺住職)です。日野さんは住職の傍ら、有機野菜農家を営んでおり、小規模の山林も持っています。今回の奉仕団にうってつけの講師でした。
日野さんは林業について「自分の代に、自分が手を入れた材を伐ることはない。じいさんが植えた木で、生活させてもらう。農林漁業の3つの中でも、林業は最も長い時間軸を誇る」仕事だと語りました。そんな仕事だからこそ「今やろうとしていることを信じることが大切になる。そこが弱いと、ぐらつく」と指摘。日野さんが有機野菜農家の仲間とつくる「湯布院自然の会」では、あるおばあさんの言葉が指針となったそうです。それは「毎日畑に出ていたら、野菜の方が今何をしてほしいか教えてくれるよ」というものでした。林業でも、木を信頼する、木を知るということを自分の中で整理していくことが大切だ、と語られました。
講義の後には、話し合いの時間を持ちました。
橋本さん「私の先生の大橋慶三郎さんは『人間の頭で考えたことは失敗する、すべては自然が教えてくれる』と話していた。今年の4月には森林経営管理法が始まる。林野庁が机の上で考えたことは現場と乖離したものも多い」
日野さん「湯布院自然の会では、行政の補助金は断ることにしていた。とりあえず、で飛びつかない。これを原則にした。補助金が切られたときにどうするかを考えずに機械化を進めると、必ず行き詰まるから」
上垣さん「日本では、国に頼るという感覚が根強い。また、地方に住めないなら都会に住めば良いという論調も根強い。地方が日本の農林漁業を支えているのはまぎれもない事実だが、そのことに対する国民的合意がない」
皆さん、林業の置かれた現状や日本社会について、それぞれ厳しい意見を出されていました。危機意識が共鳴しているかのようで、座談の時間では語り尽くせないほど、議論は盛り上がりました。
座談会の様子。それぞれが感じたことなど意見を交わし合う
■夜の話し合い
講義と座談の後は、夜ご飯を食べ、お風呂に入ります。そして再び話し合いが始まりました。私はここで気になっていたことを聞いてみました。
私「山林を育てるには択伐が大事だと聞きましたが、それでは択伐で伐る木はどうやって決めているんですか」
一同「それが難しい。そして、そこが奥深いんです」
声をそろえたかのように勢いある返答。少し驚きました。橋本さんはこう続けました。
橋本さん「どうやって伐る木を決めるか。大橋先生は『その一本を伐ることで、何本の木が助かるか』と言っていた。先生は考えるんではなく、直感的に決めていた。こればっかりは言葉じゃ伝えられない。その代わり(辺り一帯の木をすべて伐る)皆伐は簡単だよ。ここからここまで伐ると決めたら、あまり頭を使わないから」
私「自伐型林業とは何ですか? 『自』とはどういう意味でしょうか」
浜口さん「自伐型の自には3つの意味がある。1つめは自ら伐る。2つめは自由自在な経営。3つめは自立した林業経営」
私「そうすると、自伐型林業の反対の言葉は、何になるんでしょうか?」
浜口さん「それは『委託型林業』ではないかと思う。その違いは山林の写真で見てもらった方が早い。見たら一目瞭然でしょう」
ここでその写真を紹介します。大きな木が立ち並ぶのが、自伐型林業で営む山林の写真です。
そして一帯の木がすべて伐られているのが、委託型林業の写真です。
委託型林業が皆伐につながりやすいのは、皆伐の方が利益を出しやすいからだそうです。委託を受けた側は、どうしても「山林を育てる」という発想よりも、「山林で稼ぐ」ことを考えざるを得ません。それで生計を立てているのですから。
一方で自伐型は生計を立てられるかどうかという視点に立ちません。むしろ副業を勧めています。林業と他の生業によって、山を守りながら生活を成り立たせていくことの方を選ぶ経営手法です。
■自伐型林業
ここで少し、用語や法律について説明します。
今回の林家奉仕団は、「自伐型林業」を志す人たちが集まりました。それはどのような林業なのか。いくつか特徴を挙げます。
▽「皆伐」ではなく、林の中から適度に木を切り出す「択伐」を基本にすること
▽組合や業者に委託せず、山林所有者や地域住民が山に入って、自ら木を切り出すこと
▽短期に収益を得ることを考えず、10年、100年という単位で数世代にわたって収益を得ること
▽広大な範囲は管理できないため、一人当たりの管理面積は小規模に抑えること
▽その反面、自由な時間を確保しやすいため、さまざまな副業を組み合わせられること。
「林家」という名前は「自伐林家」という言葉に由来しています。その名前には、山主が組合や業者に委託する従来の林業とは異なる、という意味合いを込めているそうです。
また、今年4月から始まる森林経営管理法についても少し説明します。これは、手入れの行き届いていないとされる個人の森林を市町村が引き受け、伐採業者に委託しやすくする法律です。山林所有者の高齢化や都会への移住などによって、全国各地で山林が荒れていっていることへの対策として、2018年5月に可決されました。
参考HP:林野庁「森林経営管理制度(森林経営管理法)について」(リンク先に移動します)
懸念の声もあります。委託された伐採業者が、一帯の木をすべて伐る「皆伐」を進めていく可能性です。皆伐は効率的でもうけが確保できる反面、はげ山をつくり、水害を招くとともに、山林の復活には長い時間が掛かります。市町の山林管理の責任が重くなるため、行政職員の負担も増す可能性があります。今後、日本の山林を適切に管理・育成できるのか。日本の林業は一大転換点を迎えています。
■まとめの講義
一夜明けて、2日目の講義がありました。
日野さんは現代の私たちの生活に視点をあてます。少し前まで私たちの暮らしにおける生活必需品は木でできていました。例えば、家、家具、食器、清掃用具などです。それが今は、プラスチックや鉄、コンクリートに変わりました。「これまでいのちある物の中で暮らしてきた人間が、無機物の中で暮らす。そこにおいて、感性が失われていくのではないか」と指摘します。
そして、思考のタイムスパンがとても短くなった、とも指摘しました。
現代は「今」に重点を置いた考え方が一般的です。「だが、事実は本当に『今だけ』だろうか。過去を失った『今』は極めて不確実な『今』であろう」。日野さんの言葉が重く響きます。
現代の製品は、ほとんどが環境循環型ではありません。土に還ることはありません。そして、原発のように今後どう使われていくのかが全く考えられないものを創造するようになってきました。それを「叡智」と呼んできました。
日野さんは「人間の知恵に対する過信からどう目覚めていくか」だと力を込めます。「いのちを感じる体験をどう取り戻していくか。足下の草であれ、花であれ、ふと見つめてみる。自分の立ちどころを見いだすことがないと、幽霊のごとくに生涯を終えてしまうのではないか」。
他の奉仕団参加者の前で、感想を話す上垣喜寛さん。片手に長男を抱いて
■関心を持つ
私はこれまで、林業に関心を持ったことがありませんでした。そんな中で今回、興味をひかれたやりとりがあります。それは橋本さんが出してくれたクイズです。
橋本さん「木が育つのは、太陽がさんさんと照る日か、雨がたっぷりと降る日か、どっちだと思いますか?」
私「雨が降る日でしょうか」
橋本さん「私もそう思っていたんですが、正解は太陽。木は光で成長する。それなら、ゆるい斜面に生えている木と急な斜面に生えている木。どちらが成長すると思う?」
私「ゆるい斜面でしょうか」
橋本さん「私もそう思っていたんですが、正解は急な斜面です。光は上からだけでなくて横からも入ってくるから。急な斜面の方が光を浴びやすいんです。大橋先生はいつも『人間の頭で考えたことは失敗する』と言っていました」。
何気なく答えたことがすべて間違えていたこともさることながら、「人間の頭で考えたことは失敗する」、この言葉こそが叡智だと感じました。
「どの木を伐るか。それが一番難しい」。皆さんが口をそろえて言われた言葉。この言葉にも大げさに言えば、思想を感じました。私たちが失いつつあるその感性は、私たちがとらわれている何かを教えてくれる。そんな気がしました。
橋本さんは御影堂の縁側で大きな柱を感慨深げに見上げていたことがあります。
そして最後に「明治の山はすごかったんだなあ」とつぶやきました。
それは、私にはまったく思い至らない言葉でした。両堂を建てた人たちがいたことまでは想像していました。でも、その柱となる木、つまり山を育てた人たちがいた。橋本さんの目にはそんな人たちの姿が浮かんでいたのかもしれません。
「こんな大きなお堂を見られて、本当に感動しました」。東本願寺の参拝案内をしていると、たまにこんな言葉を聞きます。また、初めて御影堂に座って手を合わせた瞬間、涙が止まらなかったという人にも会ったことがあります。場の力というものが、何かを感じさせることがあるのだと思います。
それでも、このお堂が建った背景に、山を育てた人たちがいたことまでは思い至りませんでした。明治までは林業の専門職はほとんどいなかったため、村の人たちが山を育てていたそうです。その人たちの苦労があって、今、私たちは両堂に座ることができる。知らなかったなあと思います。
今年の4月から「森林経営管理法」が施行され、日本の林業は一大転換点を迎えます。今後、日本の山林はどのような姿になっていくのでしょうか。もし、100年後、200年後に両堂が万が一にでも焼失するようなことがあれば、そのときに同じようなお堂を建てられるのかどうか。そこには、そのときどのような山林があるかが密接に関わっています。
今回、林家奉仕団に参加させてもらい、林業は宗門に関わる私たちにとって決してわが身を離れた問題ではないのだと思いました。これから林業に対して少しでも関心を持ち、身近な山林を少しでも注意深く見ていけたらと思います。これから毎年、林家奉仕団を企画する予定だそうです。ご興味ある方は、誓願寺(高知県土佐清水市)へ連絡してみてください。
(福井教区通信員 藤 共生)