寺院活性化支援室 過疎・過密地域寺院支援では、寺院活性化支援員を派遣し、お寺の現状や課題、要望をていねいにお聞きし、寺族と門徒と一緒に教化の取り組みを考えています。
東京都心は暑さなし。7月前半に、1日も30度以上の日がないのは珍しく、1986年(昭和61年)以来、33年ぶりのことだそうです。
2019年7月12日(金)、前日超宗派で過疎についての取り組みを考える「過疎問題連絡懇談会」が東京で開かれた翌日、港区赤坂にある報土寺にお伺いしました。
報土寺は慶長19年(1614年)の創建されました。当時は、赤坂5丁目にあったそうですが、江戸幕府の用地取り上げにより安永9年(1780年)に赤坂7丁目に移転し現在に至っているそうです。
本堂には、開基住職が携えて来たと伝えられる朝倉義景がいつも出陣のときに兜に入れていたという「阿弥陀如来銅像」が安置されています。
そして、境内には江戸時代の伝説の力士「雷電為右衛門」の墓・儒学者「井部香山」の墓、明治の哲学者「三宅雪嶺の墓」・日本画家「野村文挙」の碑などがあり、その方々の遺徳を偲び、全国から参拝があるとのことでした。
特に、雷電為衛門は、大関が最高位で、横綱は「名誉職」としての色合いが強い時代に、現役生活21年、江戸本場所36場所中27場所で大関を張り、254勝10敗、勝率は脅威の.962を誇った力士であったため、相撲愛好家をはじめ相撲女子も参拝に来るとか。ご門徒にも行司がいらっしゃるそうです。
そのため、手すりやすべり止めなどの安全対策、長時間の正座はつらいなどの声を聞いて机やイスを入れ替えるなどの配慮がなされていました。
また、大正時代から始まり、途中休会なども経ながら続けられている地域の句会「龍耳俳句会」にも場を提供し、地域に開かれたお寺としての取り組みをされておられました。
「近くにご門徒がいるということは、本当に心強いことだと思う。このお寺の周りはビルに囲まれていて、歩いてお参りにいけるご門徒は3件ぐらい。あとは、都内に50%、他関東その他である。」
「いろんな方が著名人のお墓を縁に来られる。外国人の方も日本的な建物は周辺にないので、ふらっと入ってくる。その時には声をかけるようにしています。声をかけてご縁づくり(笑)。」
取り巻く環境と、ご門徒でない方への積極的な声かけについて教えていただきました。
また、新しい取り組みとして、
「初盆の方がお参りに来られる。今年からは、お勤めのあとお内仏のお給仕の説明しています。やっぱり、核家族で生活をおじいちゃんやおばあちゃんとともにしていないので、お勤めができないことがほとんどだし、自分がこれまで何の宗派だったかも知らない方が多いから。」
門徒宅へ訪問が少ない中で始められた取り組みについてご紹介いただき、最後に
「お墓を相続していくこと。世代が変わった時、ご縁が法事か通夜・葬儀で寺の近くに住んでいないという中で、どう関わり合っていけるのかということが課題である。」
とのお話をいただきました。
その他、浅草にあるお寺にもお伺いさせていただきました。
「お寺目線で知っているだろう?と思っても、知らないことどうやったらいいか分からないこともご門徒からしたら分からないことがたくさんあると思う。だから、焼香一つにしても口でも説明するけど、焼香卓の上に焼香作法を丁寧に書いています。」とのことでした。
こちらのお寺も近隣にはご門徒がいらっしゃらないとのことでした。
浅草のあたりは、真宗大谷派の寺院が軒を連ねて立ち並んでいます。人の移動が激しい都市部にあって、真宗の教えを伝え、いかに次世代に教えを相続していくのか。十分な時間ではありませんでしたが、その地域そのお寺での様々な伝統と工夫があるように感じられました。
寺院活性化支援室では、お寺の教化活動を一緒に考えます。