慶讃法要への願い

 
数年前、自坊の創立記念法要を検討していた総代会でのことです。ある総代さんが突然思いがけない発言をされました。その方は大学卒業の春、父親と前住職にすすめられて推進員になられました。以来、四十数年、寺の活動に深いかかわりを続けてくださった方です。その方が総代会で突然「何のために法要をするんだ」と発言されたのです。思いもよらぬ問いかけに、一同、驚いていました。私が一応、答弁をしてその場をしのいだ形になりました。後日、その方の弁です。「オレはあの時、住職に聞いたのではないし、まして法要を勤めることに反対したわけでもないんだ。ただ、皆に法要を勤める意味について考えてほしかったのだ」ということでした。その時が来たから法要を勤めなければとか、意味をたずねられて後付けのように理由を述べたことを考えさせられる場面でした。
 
宗門では、一二二四(元仁元)年、宗祖五十二歳の年を立教開宗の年と定め、一九二三(大正十二)年に「宗祖大師立教開宗七百年記念法要」を勤めています。(大正十年九月二十三日付、阿部惠水寺務総長の達令による)なぜ、慶事としてわざわざこのような法要を勤めなければならなかったのでしょう。
 
本願寺教団が、長い間、浄土真宗を名告ることができずに、主に一向宗と呼ばれてきたことは周知の事実です。一七七四(安永三)年、東西本願寺が幕府に浄土真宗の宗名公称を願い出てから約百年後、一八七二(明治五)年、ようやく「真宗」の宗名公称が認められました。宗祖が浄土真宗を顕らかにされてから、約六百五十年を経てのことです。宗名公称が認められた当時の人びとの喜びは、それこそ「天におどり地におどる」ほどのことであったのではないでしょうか。そしてそれから約五十年後、一九二三年立教開宗七百年の法要が勤められました。
 
一九七三(昭和四十八)年には、親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年慶讚法要が勤められました。「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」というスローガンは、すべての人に誕生の意義と宗教的問題を考える機会を与える言葉となりました。その意味で、慶讃法要の意味をたずね開く言葉であると思われます。ただ、教団の歩みの中で、戦時下の教学・伝道のありかた、部落差別の問題など、あらゆる時・あらゆる人に「生まれた意義と生きる喜び」を真実の意味で伝え得る教団になっていなかったことを知らされることになりました。そうした中、「教団問題」という重い課題を背負いながらも、同朋社会の顕現に努めることを主とする「宗憲」改正を成し遂げたことは重要なことであります。
 
二〇二三年、私どもは親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年の年を迎えます。問題山積であっても、宗祖が「もしこの書を見聞せん者、信順を因とし疑謗(ぎほう)を縁として、信楽(しんぎょう)を願力(がんりき)に彰(あらわ)し、妙果(みょうか)を安養に顕(あらわ)さんと」(『教行信証』「化身土巻」、『真宗聖典』四〇〇頁)と述べられるように、外からの問いかけが内に疑謗を見出し、「信心のまことならぬことのあらわれ」(『親鸞聖人御消息集(広本)』、『真宗聖典』五七七頁)と語り合える場が開かれる慶讃法要の前後であることが願われます。
 

([教研だより(156)]『真宗』2019年7月号より)