人間としての誇りだけは持ち続ける
─全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)会長 故 神 美知宏氏に聞く─

2014年5月9日、全療協会長である神美知宏氏がご逝去されました。心より哀悼の意を表します。
 
 全療協は、国家公務員の一律5パーセントの定員削減の閣議決定による医療サービス等の低下に対し、このまま改善が見られないならば、ハンストを含む「実力行使」を行うことを決議しました(2012年支部長会議)。しかし、その後の厚生労働省との協議では進展はありませんでした。このたび、75回定期支部長会議(2014年4月)の開催を受けて、神氏にお話をうかがいました。神氏がご逝去される約1ヵ月前でした。
 
━ 今回の支部長会議の協議内容と今後の方針について教えてください。

神 ─ 全療協が結成されて63年になります。その間に約15700人が亡くなっています。現在、全国の療養所入所者が1863人、平均年齢が83歳。年間の死亡者が約150人という状況です。入所者の約60パーセントは、介護を受けなければ自分で生活できないほど重度の後遺症を持った者たちです。しかし、国は療養所で働く国家公務員の定員削減を、合理化政策の一環として強行しています。
 国家賠償請求訴訟は、国が大きな過ちを犯したことを明らかにしました。法廷の中で国のハンセン病政策の過ちが断罪されたわけです。国は療養所に対しては特別に責任を負わなくてはならない状況にもかかわらず、ただ合理化政策を推進するために定員削減が始まったのです。強制隔離され、健康である間、患者は作業(「患者作業」と言われ、療養所内の炊事、清掃、洗濯をはじめ障害の重い方たちの介護や看護にも携わった)に強制的に就労させられました。歳をとって、人の面倒も自分の面倒も見られなくなった入所者を世話する職員まで、国は削減し続けています。「合理化政策をハンセン病療養所の中に導入するな。療養所だけは歴史的な経過・国の責任という観点から閣議決定による対象施設から除外をしろ」というのが、私たちの要求です。受け入れられないときには直ちに座り込み、ハンガーストライキによる実力行使に移る確認を再びやりました。
 ある園では、「朝3時に起きて洗面してもらわなければ、朝ごはんまでに全ての仕事が終わらない」と介護職員から主張があり、入所者は午前3時に起こされて洗面しているのが実情です。去年の夏は非常に暑くて、「せめてシャワーぐらいは毎日浴びたい」と訴えても、「一週間に3回の入浴で我慢してください」というのが当たり前になっているのです。
 お年寄りになるとトイレの回数も増えてくる。夜も2時間ごとに行きたくなる。職員が少ないためにトイレの介助がなかなか受けられない。失禁するわけにはいかないので自分でベッドから降りて、這うようにして行かざるをえない状況が起こっています。ベッドから降りようとして、転んで骨折して病棟に入ることも珍しくなくなりました。
 
 国は「無らい県運動」によって社会から患者を放逐(ほうちく)して療養所に強引に収容しました。その人たちが、その後どういう人生を送っているかほとんど市民の方々は知りません。隔離された当事者たちが声を大にして国に叫んでも、国はなかなか真剣に取り上げてくれない。63年間に及ぶ全療協運動は、社会的な観点からみても孤立しています。
 だから療養所で何が起こっているか社会に向けて告発し続けることが、非常に大事な運動だという認識があります。平均年齢が83歳になったけれども、一所懸命みんなで力を合わせて努力してくれている。真宗大谷派の関係者には身内のように私たちの運動を支援していただいていますけれども、多くの市民は必ずしもそうではありません。
 この交渉がいかに困難かはこれまでの運動の中でいやになるほど学んできています。私たちはもう余命いくばくもない、今いよいよ崖っぷちに立たされています。許せない気持ちだけはみんな意気軒昂(いきけんこう)たるものがあります。この運動が最後になるかもしれないけれども、やれるだけのことをやらなければなりません。我々はこのまま「敗軍の将」として頭を丸めて「敵の軍門に下る」ことだけはしたくない。ぎりぎりまで追い込まれても、人間としての誇りだけは持ち続けて、国家権力に立ち向かっていこうという気持ちを持っています。
 

━ 神さんは「ふるさと問題が終わらないとハンセン病問題は終わらない」といつもお話になっていますが、現状についてご意見をいただけませんか。
神 ─ 多くの者は里帰り事業に参加しても、県が用意した車でふるさとの真ん中を「あそこがわしの家だ」と、遠くから指をさして前を通り過ぎるしかできないのが現状です。みんな高齢になられて、「死ぬ前にふるさとの様子を一度見に帰りたい、先祖の墓参りぐらいできるようになって死んでいきたい」と思っています。それを「今、こっそりやってもらってるんです」というのが県の説明です。本当に里帰り事業が名実共に実現しているかといえば、残念ながら、「NO」と言わざるをえないのです。
 療養所は治療の場であると同時に終生強制隔離をする施設です。そのシステムに非常に問題を感じました。国の政策が間違っていたために私は人生を根本的に考え直さざるをえない立場に立たされました。この歪んだハンセン病政策を根本的になおすための患者運動に、人生をかけてみようと決断して、一所懸命運動に参加して闘ってきました。このことにある種の誇りと、満足感をもった人生だったと思っています。
 
 振り返れば、63年間にわたる血みどろの闘いは凄惨を極め、文字通り苦闘の連続でした。全療協運動は、「人間回復の闘い」そのものであったといえると思います。
(文責・解放運動推進本部)
 

《ことば》
真の人間回復…私どもの運動も、ここ一両年が山ではないかと考えている

< 神 美知宏 >

 一昨年、全国ハンセン病療養所入所者協議会によって「実力行使決議」として訴えかけられた問題は、国の療養所政策によって入所者の人権や尊厳が脅かされている、というものでした。「ハンセン病問題基本法」制定後もなお、入所者を人間として尊重することを怠っていることへの抗議です。
 抗議は、直接には国に向けられていますが、そのような国の態度に無関心である私に訴えてきます。かつて強制隔離を是として社会から排除し忘却してきたことを改めようとしたはずが、今また傍観者としてこの状況を容認していたのだと。今、私が人間らしく生きるためには、「人間として生きることを切望する人の声を聞くことからしか始まらないのだ」というメッセージとして聞き取りました。
 平均年齢が83歳近くと高齢化し、医療や看護・介護の必要な人が多い状況のなかで、「ここ一両年」という言葉は、人間としての存在をかけたいのちがけの言葉として響いてきます。
(東京教区・井上英実)

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2014年7月号より