<真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会 広報部会 谷 大輔>
一九九六年三月、ハンセン病患者の強制隔離の根拠となっていた法律「らい予防法」が廃止されました。ハンセン病を発病した方々は、ふるさとや本名を奪われることで過去を奪われ、断種・堕胎で未来を奪われ、自分自身を大切にして生きたいという願いを奪われてきました。また、その家族は、強制隔離政策が助長した偏見差別のなかで生きねばならず、多くの人間の人生を破壊し、人間の尊厳を奪い続けてきたのでした。
同年四月、私たち真宗大谷派は「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」を出しました。その「謝罪声明」から二十年が経とうとしています。あらためて、私たちは「何を謝罪したのか」を一人ひとりが受けとめる必要があると思います。
「謝罪声明」のなかで、まず「教団は「教え」と権威によって、隔離政策を支える社会意識を助長し」たと、教えによって社会の中で隔離政策を補完したとしています。そして、「これらの布教のなかには、隔離を運命とあきらめさせ、園の内と外を目覚めさせないあやまりを犯したものがあったことも認めざるをえません」とします。ここでも、入所者に、園にいることは社会のためだと容認させ、園を出て一人の人間として社会で生きることを断念させるような布教が行われていたとおさえています。
そして「隔離されてきたすべての「患者」と、そのことで苦しみを抱え続けてこられた家族・親族に対して、ここに謝罪いたします」と、苦しみを与えた人に謝罪し、「また同時に、隔離政策を支える社会を生み出す大きな要素となる「教化」を行ってきたことについて、すべての人々に謝罪いたします」と、私たち大谷派の行為についての謝罪が続きます。私たちの謝罪すべき行為とは、教えを伝えること、つまり「教化」であったとしているのです。その「教化」とは、強制隔離という深刻な人権蹂躙を前提にしたまま、その中で善意をもって安住の救済を説く「慰安教化」であったのです。
真宗の「教化」によって人間の尊厳が奪われたとは、どういうことなのでしょうか?
訪問した療養所で、ある回復者の方のお話をうかがったときのことです。その方が語られる言葉に愕然としたことがありました。「隔離政策に感謝している」「療養所の生活に全く問題はなかった」「断種手術をしたが、しかたがなかった」。なぜそのように語るのかというと、ハンセン病を発病した自分も、残された家族も、療養所に入所したことによって、経済的な困窮からは助けられたのだ、と。その時の、「感謝」や「しかたがなかった」という言葉が耳をついて離れません。
このような大谷派僧侶による「教化」が、こういったかたちで広まり、園の方々の心に刻まれ、根づいたのではないでしょうか。
最も辛く、深刻な被害とは何かと考えたとき、自らが受けた被害を被害と受けとめられないことなのではないかと私は思います。人としての尊厳が軽んじられ、踏みつけられているのに、被害を自覚できない。したがって、声を挙げることすらできない。これほどの人権侵害はないと思います。
大谷派の療養所での「慰安教化」は、こういったことに加担してきたのでした。教えを言葉で語るという行為が人間の尊厳を奪ってきたのです。
自分を教化者という立場に立て、善意から出た自分の思考と行為を疑わず、相手を救ってやろうというところで「教化」を行うとき、相手が何を語ろうと、苦しいという声をあげようと、その声が聞こえない。「雑毒の善」という言葉を知りながら、自分自身をも、自分が生きている世の濁りも問えません。
「教化」をする者であっても、その者は教化者ではなく、救う者でもないのです。自身は、救われ解放されなければならない衆生の一人です。二十年前に、大谷派の私たちの先輩たちが「謝罪」されたその内容は、自分自身が衆生であるということを見失なっていたことなのではないかと思います。
仏の教えから教えられ、自分自身が衆生であると自覚するとき、そこには仏弟子として歩む道が開かれます。その道を歩む者は、目の前にいる人の声を聞き、その声をも教えの言葉として受けとめるのではないでしょうか。
社会から見捨てられ、踏みつけられ、苦悩の中で精一杯に人間として生きようとする人の声を、自分自身の濁りと、世の闇を照らす光の言葉として聞くのです。そして、仏からの教えの言葉と、民衆の言葉が交差する場所から、具体的な共なる行動が始まるのではないかと思います。
二十年前に出された「謝罪声明」を、血の通ったものとして次の世代に伝えることができるかどうか。これからの私たちの学習と行動にかかっているのでしょう。
〈お知らせ〉
第十回真宗大谷派ハンセン病問題
全国交流集会
私たちの歩み、そこには人がいる
―らい予防法廃止、謝罪声明から二十年―
姫路船場別院本徳寺をメイン会場に開催いたします。
ご参加をお待ちしています。
【日時】二〇一六年四月十九日(火)~
二十一日(木)
【会場】姫路船場別院本徳寺
国立療養所長島愛生園
邑久光明園 シ
《ことば》
「私は死ぬ前にな、妻と離婚しようと思っとるけんな」
菊池恵楓園を訪れて、お酒を飲みながらの交流会の最中、入所者の一人がおっしゃったことばだった。その場に奥さんはおられなかったが、仲のいいご夫婦と思っていたので、「何でですか」と尋ねた。そのことばには、「妻だけは両親と一緒にふるさとのお墓へ入れてあげたい」という強い思いがこめられていた。自分は恵楓園の納骨堂に入るしかないが、離婚して籍を戻せば、妻だけはふるさとのお墓に入れてもらえるはずだとおっしゃった。私はそれ以上、そのことについて返すことばがみつからなかった。園内の納骨堂には、私には想像できないほど深い悲しみや寂しさが込められているのだと知らされた。
数年後、そのご夫婦は、交流会で出遇われたある住職さんとのご縁で、そのお寺のご門徒となられた。そこに将来お二人の遺骨が納骨されることを約束された。
私はこれからも恵楓園の納骨堂にお参りして、人と出遇っていきたいと思う。
(久留米教区・田中一成)
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2015年10月号より