「謝罪し続ける」という歩みの、これからが問われる
─らい予防法廃止、謝罪声明から二十年─

<真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会 交流集会部会 旭野康裕>
「謝罪していく」歩みの始まり

 一九九六年の「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」は、「謝罪をしていく」ことを具体的に表現していく歩みを始める、という明確な意思表示でもあった。そこから謝罪の意味と向き合い、人を感じ顔を見ながら「動くひと」が生まれていった。出会いを重ね、「謝罪」に血を通わせていく動きが広がり続けてきた。療養所を訪れ回復者と出会い、交流し、学習や啓発活動を続けてきた。同時に謝罪は、社会に惹起する諸課題を傍観し無関心にならない、放置して平気で生きる私とはならない、と心に刻みこむ誓いでもあった。
 来年四月、「第十回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」が山陽教区で開催される。参加者一人ひとりが「謝罪していく」ことのそれまでの動きを確かめ、再会や新たな出会いの歓びを通じて、次なる動きを誓い合う交流の場も十回目になる。療養所を訪れ回復者と出会って「交流する」ことを「謝罪していく」中身の中心にしてきた二十年の歩みの真価、つまりハンセン病問題に問われてきた私たちの、これからの本気度が試されるということだろう。交流では終わらないという、壁を越えて闘っていく姿が「謝罪していく」ことになっていくのでないか。
 

謝罪から二十年、どんな「今」を迎えるのか

 先日ある回復者のご遺骨の分骨と里帰りのための法要に立ち会った。故郷から隔離されて七十年、亡くなられてから二十年目に、里帰りはご遺骨となって実現した。分骨を見守る在園者の姿と納骨堂内の静かに並ぶご遺骨は、無言の望郷の念となって、立ち会った一同に突き刺さるような切なさを感じさせたに違いない。隔離からの解放、とりわけ「故郷の回復」は未だ果たされていない。一人でも多くの回復者の「ふるさと問題」を、少しでも解決に近づける努力を急ぐべき「今」を痛感した。この課題を意識し努力し続けるしかない。
 平均年齢が八十四歳となり回復者の残された時間を考える時、できる限り多くの方に出会い、その人生を聞き続けることも急務だ。隔離による苦難の人生を語らずして自分の人生は完結しない、と考えておられる回復者も少なくないであろう。私たちが忘れていった療養所を生きた人々。その人生の証人となっていくためにも、出会い聞き取り続けなければならない。その際に気づかされたことを、悲しみと憤りをもって自己や社会に問い続けていかねばならない。
 自己や社会と対峙していくという「闘い」が、交流の先にあることを忘れてはいけない。それを回復者に知らされる最後の「今」を大切にしていきたい。
 

療養所をどういう場所にしていくのか

 今年も全国四ヵ所の国立療養所で、四年目となる福島の子どもたちの県外一時保養事業が展開された。かつては終生絶対隔離のためだった場所に福島の親子の声が響く。隔離の苦難を生きてきた回復者たちと、原発問題で苦しむ福島の親子が、出会い語り合う現場となっている。わが子を抱くことが許されなかった在園者が、花火や水遊びに興じる姿を見守る優しい視線。子どもたちの遊ぶ光景に、将来を気遣いながら、果たせなかった思いを重ねて、生きた証しを模索されているのだろうか。回復者と福島の親子の願いと、療養所を訪問し交流してきた人たちの思いとが、療養所に必然のような空間を生みだし、優しい時間を流れさせている。
 全国に未だ十三の国立療養所が存在する現実は何を物語っているのか。そこでは過去に何が行われてきたのか。療養所は人が見失ってはいけない、しかし忘れてしまいそうな人間らしさの根源のようなものと出会う場所として存在するべきだと考える。苦難の人生を生きてきた人たちの願いに出会い、同じ人としてのいたみに共感し、自分の人生を振り返れる場所。人の恐ろしさや愚かさに出会い、自らの生き方が問われる場所。人の優しさや悲しみに出会い、自らが優しく思いやりのある人でありたいと願う場所。療養所の将来を不透明にしないためにも、たとえ回復者がおられなくなっても、私たちは療養所に通い続けなければならない。
 私が傍観し無関心に放置して忘れていった療養所の存在。社会の無関心さがそこに生きてきた人たちを失望させた。そして忘れていったことで諦めさせた事実を二度と繰り返させない、そんな誓いの火が燃えている場所として療養所を守らなければいけない。社会構造の歪みから苦難を強いられ、人間の尊厳が脅かされている人々が今でも生まれている事実と、その苦しみに敏感に共感し動き出す人を生み出す場所になってほしい。
 

「謝罪していく」闘いのバトンを次世代に

 療養所を訪れ回復者の話を聞いた人は驚き悲しむ。しかしそれで終わってはいけない。隔離の歴史や実態に憤り、差別偏見の苛酷さに怒るべきだ。それは私と社会に憤り怒ることだ。その感情を原動力にわが身を問い、時代社会の問題と厳しく対峙していかねばならない。私たちはそれぞれの現場で動き、自分の表現で発信し、世間に問い続けなければいけない。それは各々が独自の「闘い」を意識することでもある。
 謝罪声明を発信したものとしての責任ある姿勢でもある。
 分骨式では療養所での研修に教区を超えて参加する若い僧侶数十人が見守っていた。療養所の保養事業の中心には若手寺族がいる。福島の子どもたちも将来きっと療養所を再訪し回復者の優しさと願いを噛みしめるだろう。
 ハンセン病問題との出会いが育んだ関係のバトンを、確実に次世代へとつなげていかねばならない。それが謝罪し続けることになる。
 

《ことば》
「同情は差別です。」
神美知宏

 ハンセン病回復者の尊厳回復に尽力され、昨年亡くなられた神美知宏さんの言葉です。まさに、人間の闇、悲しみを言い表しています。
 私は、療養所へ行き、回復者の方のお話を聞くと涙がこみ上げてきます。なんと、大変な人生を歩まれたのか。納骨堂からは、ご遺骨になっても故郷へ帰れない無念の声が聞こえてくるようです。しかし、これは同情という差別ではないのか。
 私には、その方が心の内に抱えておられる本当の思いは分かるはずもありません。今も続く苦しみや悲しみ、痛み。それは、想像すらできません。安易に分かった気になり、ハンセン病問題はこうだと語る私。これこそが、お一人お一人を無視する差別であり、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 しかし、私は分からないからこそ、回復者の方のお話を聞き続けよう。そして、その声を伝え続けねばならないと思います。ハンセン病問題を終わらせないために。神さんの願いでもあります。
(大垣教区・稲葉亮道)

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2015年11月号より