「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」から二十年
 「第十回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」開催

<真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会委員 見義智証>
謝罪声明と全国交流集会

 今年四月の「第十回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」のテーマは「私たちの歩み、そこには人がいる─らい予防法廃止、謝罪声明から二十年─」です。
 
 一九九六年「らい予防法」廃止と同時に、「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」が表明され、翌年九月、真宗本廟において「真宗大谷派・全国ハンセン病療養所交流集会」が開催されました。「謝罪声明」の翌年から始まったこの交流集会は、大谷派が「謝罪」の具体的な内容を回復者の方々に示すことであったと思います。一度「謝罪」して清算ということではなく、「謝罪」から始まる歩みがそこにはあります。過ちを犯した者として、「過去から現在までの差別と偏見から「療養所」の内と外とが共に解放されていく歩み」(「謝罪声明」)となっているのかを問い直す時間と場所が交流集会にかけられている願いであると思います。そのような全国規模の場が第十回目として開かれます。
 

批判と謝罪

 私自身は、二〇一一年の京都、二〇一三年の東京での交流集会に参加し、十回目の交流集会にも参加させていただきたいと思っています。あらためて何故参加するのかと聞かれると、その理由が自分の中でも整理しきれていない感覚があります。
 諸先輩方をみると、一人ひとりと出あい、言葉を聞くということを長年続けておられ、とても自分には真似できないという、気後れするような思いがありました。そのような悶々としているときに、玉光順正氏の記念講演「歴史をとりもどすために」を読む機会がありました。その中で「謝罪声明」を表明した理由を三つ述べていました。
 
   一つは、「無批判に国家政策に追従して、隔離を推進した」と。隔離することを奨励したと言ってもいいかと思います。二番目は、「らい予防法が持っておる人権侵害が見抜けなかった」。そして三番目としては、「その中で私たちは慰問布教というかたちでの現状肯定、あるいは自己弁護をしてきた」と。この三点について、今の私たちとして謝罪声明を出したと言えるかと思います。
  (『真宗』一九九八年一月号 真宗大谷派・全国ハンセン病療養所交流集会報告記念講演「歴史をとりもどすために(要旨)」)
 
 その言葉から、私のあらゆる行動の土台に「現状肯定」があり、その上での「自己弁護」があることを言い当てられたように感じました。諸先輩のようにできないからと言い訳している裏には、自分自身の行動に対しての批判を受けとめきれず、逃げている自分を言い当てられました。
 同時に、色々なことを理解した上で動くということも大切だけれども、わからない中でも動き続け、聞き続けてみるものだとも感じています。動くことで間違うことも多々ありますし、今も間違っていないとは言えません。しかし、私が関わる以前から言葉を発信してくださっている人、その言葉を確かに聞き、受け取ってこられた人の歴史にふれることで、そこに生きる人と出あえました。悲しみや怒りの言葉に出あえたことで、自分の間違いを教えられました。様々な人との交流が私の課題を教えてくれます。今思えば、先輩たちが培ってくれた関係の中で、安心して動きながら考えさせてもらっている感じがあります。「交流」ということがこの問題に関わっていく出発点であり、土台のように今あらためて感じています。
 

一人ひとりの京都宣言

 一九九八年に二回目の交流集会が「隔離から解放へ」というテーマのもとで開催され、「一人ひとりの京都宣言」が採択されたと聞きました。その宣言の中に「私たち一人ひとりが交流の道をきりひらきたい」という願いを次のように宣言されています。
 「園の内部からは、国家による絶対隔離政策によって人間としての誇りや人権を奪われてきたことを告発する数多くの証言がなされてきました。そして、園の外側から、その声にふれ、問題の大きさ深さに気がついた時点からさまざまな形での交流が重ねられてきました。それは、隔離されてきたものの人間を回復することであるとともに、隔離してきたもの自身が、この問題に長らく無関心で忘れ去ってきたことへの痛みをもって人間を回復することを願いとした動きであります。私たちは、善意や正義感やたてまえによるものではなく、悲しみと怒りをもって互いに人間を奪還する「交流」の道をきりひらきたいのです」。
 「隔離してきたもの自身が、この問題に長らく無関心で忘れ去ってきたことへの痛みをもって人間を回復することを願いとした動きであります」という言葉は、時間の経過とともに改善され、その延長線上でいつか解決されるという質のものではなく、忘れてしまったり、無関心だったり、他者の痛みに鈍感な私に対して、常に気づけよ、忘れるなよ、聞き続けよという勧めの声に聞こえます。
 

聞いた者の責任

 昨年、山陽教区の仏教青年会の主催で、長島愛生園・邑久光明園を会場にした交流研修会が開催されました。夜の交流会である入所者の方から「ごめんなさいということだけが謝罪ではなく、ここに来て顔を合わせて言葉を交わし、私たちの言葉を聞くことが謝罪という意味じゃないの?」との言葉をいただきました。言葉の最後が、言い切る形ではなく、問う感じだったことが印象的でした。お前が自分でちゃんと考えろと背中を押していただいているように感じました。人に出あい、言葉を聞かせていただいた者として、そこから私が受け取った願いを動きへとつなげ、次に伝えていく運動をこれからも続けていきたいと思います。大谷派の中でも「謝罪声明」を知らない人や、回復者の方の言葉を聞いたことが無い人もたくさんいるかもしれません。そんな人にこそ、この全国交流集会という場が開かれていると思います。今年の全国交流集会にもドキドキしながら参加したいと思います。
 

《ことば》
「私たちのこと伝えてね。」

 二年近く前のことになるが、瀬戸内三園(長島愛生園・邑久光明園・大島青松園)の合同花見に参加した。愛生園の真宗会館が会場で、その準備をしているときに数名の入所者の方と話をした。故郷に戻れないことや、家族とも会えないことなどを話され、そのときにこの言葉を聞いた。
 「伝えてね。」といわれたとき、直ぐに「はい」と力強く答えることができず、どう答えたらいいのか分からなかった。そのことが歯がゆく、何故もっとちゃんとした受け答えができなかったのかと今思う。
 ハンセン病に対する差別と偏見の背景には、私たち市民の無関心さがある。その現実をあなたはどう受け止めているのですかと問い直された。「伝えてね。」というあの言葉は、もう二度と同じことを繰り返してほしくないという思いや、「今も私たちはここにいます、忘れないでください。」と、私や私たちの社会に対しての訴えであったのだ。
 ハンセン病問題に関わる上で忘れられない言葉であり、継続して取り組み、その「忘れないでください」という声を一人でも多くの人に伝えていきたい。
(解放運動推進本部・二宮知彰)

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2016年2月号より