大谷派謝罪声明から二十年
─第十回全国交流集会に向けて─

<真宗大谷派解放運動推進本部長 木越 渉>
謝罪声明を第一歩として

 真宗大谷派は、一九九六年四月に宗門の名において「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」を発表し、あわせて国に対して「「らい予防法」廃止にかかる要望書」を提出いたしました。「らい予防法の廃止に関する法律」の成立に時をあわせてのことでした。それから二十年の年月が経とうとしています。
 その謝罪声明の結びには、「私たち自身が継続的な「学習」を続けていくこと、そして「教え=ことば」が常に人間回復・解放の力と成り得るような、生きた教えの構築と教化を宗門の課題として取り組んでいくことをここに誓うものです」とあり、その願いが今の私たち宗門や個々の活動に受け継がれています。
 具体的な宗門としての取り組みは、ハンセン病問題に関する懇談会(ハンセン懇)を中心とした、全国各地の療養所への訪問と交流、ハンセン病問題全国交流集会の開催(各集会での宣言の採択)、広報誌『ネットワークニュース─願いから動きへ』の発行、そして宗派機関誌である『真宗』での当連載の発信などが主な活動として挙げられます。また、この間には熊本地裁による「「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟」に対し、「らい予防法」による隔離政策の誤りを国が認めたとして、原告の全面勝訴という判決も下されています。
 

共に人間回復の道を歩む

 では、謝罪声明からの二十年、私たち宗門はどのように、この国民的課題に対して学習・啓蒙活動を展開してきたのでしょうか。
 このハンセン病問題に取り組むにあたり、声明発信の当初から「隔離から解放へ」というテーマを掲げてまいりました。これは、隔離されてきた方々のみならず、教えと権威をまとった私たち宗門人の一人ひとりが、共に人間回復の道を歩むべきであるとの自覚なしに、運動自体が成り立たないとの思いによるものだと受けとめています。さらに付け加えるならば、この動きは決して「困っている人に何かをしてあげよう」という慈善事業ではありません。国家の隔離政策に加担してきた教団の歴史を認識しつつ、私たちが隔離されてきた方々の存在と、その声なき声に無関心であったがゆえに失ってきた「共に生きる」精神を回復するための運動なのです。
 

ハンセン病問題から問われる私自身

 このたび四月の第十回ハンセン病問題全国交流集会は、岡山県に所在する国立療養所である長島愛生園と邑久光明園、そして姫路船場別院本徳寺を中心会場として開催いたします。全国交流集会を企画・運営するにあたっては、ハンセン懇交流集会部会(解放運動推進本部)のみならず、山陽教区の教化委員をはじめとする教区の様々な方にご協力をいただいています。
 昨年十月末には、作業部会での協議とは別に、山陽教区教化委員会主催の「ハンセン病問題学習会」が、全国交流集会の第一回スタッフ事前研修会を兼ねる形で開催されました。講義と班別座談、公開座談報告を主として組まれた日程は、参加者が互いに日常の中で問題意識を抱え続けにくい現状を話し合いながらも、春の全国交流集会に向けてそれぞれがスタッフとして自ら考え、開催の目的を明らかにしていくことを願って企画されたものでした。
 講演をいただいた氏(前解放運動推進本部本部委員)からは、「ハンセン病を患った人を「救ってあげなければならない憐れな人」とみなす「救済の客体」から、自らが問われるところから人と人が水平に出遇う地平を見出す「解放の主体」となっていくことが願われている」と、私たちの意識の有り様に対して課題を投げかけられました。どのような形であっても、ハンセン病問題に関わることによって、自分自身の受けとめが問われる場面があるでしょうし、具体的な場面に出くわさないとしても自身でこれまでの取り組みを内省することは必ずあるはずです。
 

自身の受けとめから運動・行動へ

 ハンセン病問題を考えるとき、個人で深く内省することは必要であり、そのことによって一人ひとりの内面には「願い」が生まれてくるように思います。宗門では、その「願い」を体現していくために、ハンセン病の回復者の方々や、思いを同じくする方々とのネットワークを作って、「願いから動きへ」とつながる運動や行動となっていくことを目指してきました。
 このたびの全国交流集会は、これらの動きを確かめ合う大切な節目となる集会です。これまでも運動や行動を続けてこられた方々、行動にまで移せなくても何か問題意識を抱かれる方々、今はじめて意識を持ち始めた方々。様々な思いを抱えられる方々が宗門という枠を超えて一堂に会して、互いに自らの歩みを振り返る、そしてそこから歩みだすことを呼びかけてまいりたいと思います。
 ぜひとも、皆様お誘いあわせいただき、全国交流集会へご参加ください。
 

〈お知らせ〉
第十回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会
 私たちの歩み、そこには人がいる
―らい予防法廃止、謝罪声明から二十年―

 
姫路船場別院本徳寺をメイン会場に開催いたします。ご参加をお待ちしています。
 

【日時】二〇一六年四月十九日(火)~二十一日(木)
【会場】姫路船場別院本徳寺
    送ァ療養所長島愛生園・W久光明園他

 
 

《ことば》
「そういうの、俺はいいから」

 最近ある園の入所者の方の部屋を訪ねた時のことです。「こんにちは~」と声をかけて外に出てこられた方の、我々を見てのけげんそうな表情に、部屋を間違えたことがわかりました。「せっかくですから、お話を伺わせていただけませんか?」とお訊ねしたところ、冒頭の言葉をいただいたわけです。とても強い口調だったので驚きました。
 確かに見たこともない訪問者から、いきなり話を聞きたいと言われて驚かれたことでしょう。怪しみもあるかもしれません。私が訪問販売を断る時のように面倒事は避けたいということかもしれませんし、特に意味はないのかもしれません。しかし、私にはそれが拒絶の言葉として感じられました。
 普段お会いする入所者の方は、優しく応対してくださいますが、お会いできない方もおられます。一人の人として「入所者」という一言ではまとめてしまうことのできない思いを持ち、それぞれの人生を歩まれてきているとあらためて考えさせられました。これまで長い間園と関わってこられた方が、入所者の方とそれぞれに、関係を持たれていることの重みも、あらためて感じさせていただいたお言葉でした。
(仙台教区・磯崎信光)

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2016年1月号より