(のち)に生まれん(ひと)(さき)(とぶら)

著者:加賀田晴美(高岡教区慧聲寺衆徒)


春は、四ヵ月近くを寒さと雪に耐えながら生活をする北陸の片田舎に住む私にとって、本当に待ちどおしい季節です。

春彼岸の頃になるとようやく、「今年は雪が多くてたいへんだったねぇ」とか「今年は雪が少なくてありがたかったね」という会話を交わすようになります。もう少し先に春が待っていてくれるという、浮き立つような心を「いちめんのなのはな、いちめんのなのはな」と、山村暮鳥(やまむらぼちょう)は詠(うた)ったのでしょうか。

そんな北陸での春を迎えるようになって三十年余りになる私の日常は、ご門徒宅への月参りが中心になっています。お勤めの後、お茶をいただきながらよもやま話をしますが、そうして親しくなった方々が、いまの私の宝物です。

時々、「昼ごはん、食べてかれ(食べていって)」と誘ってくださったばあちゃんは、つれあいのじいちゃんに「家のことをしないで出かけた」と大きな声でよく叱られていました。「そんなに叱られても出かけたいがけ(出かけたいの?)」と聞くと、「若い時にようがまんしたからねぇ。今はどこへでも行ってみたいがよ」と、じいちゃんの言葉を「ふふん」と受け流しては、また出かけるのです。そのばあちゃんは三年前の春に、九十歳と少しでしもうて(・・・・)いかれました。

「しまう」は私の地元では亡くなることをていねいに、こう表現します。私はその容易でない人生のしまい方を、晩年に色々なことをすべて胸に収めて、「楽しかった」とつぶやいたばあちゃんに教えてもらいました。

そして同じ頃に、病と闘いながら亡くなった僧侶の先輩は、こんな言葉を残してくれました。「どんなにつらく悲しくても、静かに耐える勇気を。変われる時には努力して、立ち上がれる勇気を。そしてあらゆるものを見極める知慧を」。

「念仏申す」ということが、何か教条的になってしまって、私たちの日々のいとなみの中にないような気がすることがあるのですが、そんな時には必ず、この言葉と先輩の生きた姿が心に浮かびます。いつも、どんな時でも、周りの人々の声を大切に聞き、共に生きようとした方でした。

私も老いを実感する頃となりました。最近は、人と出会うよりもお別れすることの方が多くなりましたが、親鸞聖人が『教行信証』の最後に「前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後に生まれん者(ひと)は前を訪(とぶら)え、連続無窮(れんぞくむぐう)にして、願わくは休止(くし)せざらしめんと欲す。無辺(むへん)の生死海(しょうじかい)を尽くさんがためのゆえなり」(東本願寺出版部発行『真宗聖典』四〇一頁)と書かれたことの重みを感じています。九十歳のばあちゃんが教えてくれた、しなやかさとたくましさ。そして先輩の残してくれた言葉を生きること。他でもなく私一人に託された願いに、あらためて気づかされています。


東本願寺出版発行『お彼岸』(2015年春版)より

『お彼岸』は、毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『お彼岸』(2015年春版)所収の随想の一つをそのまま記載しています。

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