「書物との出会い」
(名畑 直日児 教学研究所研究員)

昨年の夏の終わり頃、岐阜県に住む母を訪ね、母がもっている書物をもらいうけ、私が住んでいる京都の部屋に置くことになった。その書物というのは、『暁烏敏全集』(香草舎、一九五六~一九六〇、全二十三巻)である。暁烏敏(一八七七~一九五四)とは、明治・大正・昭和を生きた真宗僧で、没後、弟子たちによって編集し発行されたのがこの全集である。
 
小さな頃から母の書棚にそれが置かれている風景を当たり前のように見ていたのだが、直接、手にとって読むということはなかった。ただ今回、縁あって、自分自身で、読みたいということがあり、母が大切にもっていた書物をもらうことになったのである。
 
色もあせ、ぼろぼろになった箱から本を丁寧に取り出した時は、すこし緊張もした。そこにはこれまで普通に手に取ってきた他の書物とは違う何かを感じたのだと思う。
 
その後、一枚一枚、頁をめくりながら読み進めていくうちに、いろんなことに出くわした。難しい漢字には、鉛筆で振り仮名が付けられていたり、読んだときの感想なのか、メモ書きも見つかった。なかには地元のスーパーの、かなり古いチラシが出てきたり、銀杏の葉の押し花も出てきて、その頁は、その形で彩られていた。あるいは母方の親戚が写った写真も出てきたりと、そのうち、頁をめくる度に、次は何が出てくるのかと楽しみにもなってきた(因みに「へそくり」はでてこなかった)。
 
このようなことが起きるとは予想もしていなかったこともあり、何か出てくる度に、母に報告しながら、昔のことを聞くこととなった。そのなかで、この全集は、私の母方の祖母のものだということもわかってきたのである。そして祖母は、他の人たちと一緒に輪読のような形で読んでいたのだろうという話にもなった。
 
仕事柄、書物を読む機会も多いわけだが、その装丁や文字の大きさを気にしながら、やはり書かれている内容に意識が集中する。ただそれがどのような形で作られ、また読まれてきたのかという歴史を感じることはあまりない。今回は特に自分の家族のなかで受け継がれてきた書物を手にする機会を得るなかで、それを前に、どんな歴史がきざまれてきたのか、その一端を感じることが出来たように思う。そのようなことを思い合わせながら、私の祖母がどんな生活をし、どんな人と会話をしながら、どんな気持ちで、この本を手に取っていたのかを想像しただけで、すこし涙腺も緩むような気もした。
 
これまであまり感じたことがない読書経験をさせていただくことで、その書物の装丁や文字だけではなく、表向きには見えない、その書物に関わる歴史を感じることとなった。日頃、自分の家族と向き合うこともないなかで、否応なくその家族と向きあい、その歴史の一端に触れることとなった。それはまた自分自身と向き合うことを意味していた。今回の私にとっての書物との出会いは、自分自身と向き合うというしんどさも伴うような、そんな感じをしている。

(『ともしび』2020年5月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)

 
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