無上菩提心は、すなわちこれ願作仏心なり。願作仏心は、すなわちこれ度衆生心なり。
(『教行信証』「信巻」所引、曇鸞『浄土論註』の文、『真宗聖典』二三七頁)

「願作仏心」とは、自ら仏になることを願う心であり、「度衆生心」は衆生を救済したいと願う心を意味している。そして、それが「無上菩提心」の内実であると、ここに言われている。

無上菩提心を発した者が、仏になって衆生を救おうと願うのは当然の理である──このような思いから、なにか遠いことのように、この言葉を素通りしていた。それは、私自身の課題として見出せないまま、読み流していたということである。

 

「無上菩提」という言葉は、初期浄土経典の『大阿弥陀経』には見当たらない。『八千頌般若経』最古の漢訳『道行般若経』が、最初に用いたと考えられる。『道行般若経』「遠離品」では、「仏から無上菩提を授記された菩薩は、不退転である」と言われる。さらに「譬喩品」では、「譬えば、大海で船が転覆した際、浮遊物を頼みとするように、般若波羅蜜を頼みとし、無上菩提を求めて、善巧方便を学ぶならば、その菩薩は、阿羅漢(羅什訳では声聞)・辟支仏(びゃくしぶつ)(=独覚)に堕すことはない」とまで語られる。すなわち、将来に無上菩提を得るとの確言(授記)を仏より得た菩薩は、不退転の菩薩であり、声聞・独覚に堕すことがないと言うのである。「退転」あるいは「堕す」と言われているのは、後に「菩薩の死」(『十住毘婆沙論』「易行品」)と表現されるほどの深刻な事態を意味する。それは自らの覚りのみに邁進し、そこに座り込む問題を浮き彫りにしている。声聞・独覚にその過失を問うのは、般若経自身が「内なる声聞・独覚」の自覚を内在しているからにちがいない。

一方、無上菩提心の内実である「願作仏心、度衆生心」は、『ジャータカ物語』に源流を見ることができる。その物語の冒頭には、釈迦仏が前生に、いくつもの生涯を尽くして衆生利益をなしてきた最も根源的な理由が語られる。すなわち、ディーパンカラ仏(錠光如来、燃燈仏)とメーガ青年(弥却、後の釈迦仏)との出会いである。メーガ青年は、その出会いの場で、ディーパンカラ仏に向かって「あなたのような仏になり、生きとし生けるものを救いたい」と誓う。したがって、・仏との出会い・によって起こった願いこそが、『ジャータカ物語』を貫徹する、あらゆる衆生に向けて発された心なのである。

そして、無上菩提心を掲げた般若経自身の厳しさは、この『ジャータカ物語』が語る菩薩の心を礎(いしずえ)としていることは言うまでもない。

 

滾々(こんこん)と出ずる湧水のような「願い」が、「無上菩提」と言い表され、大乗の水脈となった。この言葉をまっすぐに受け、思索を深めてきた先学の歴史を思えば、「素通り」などしてはおれないはずである。

そうなればこそ、無上菩提心は、いつも終わりを決めつけて、座り込んでしまう私を引き起こし、さらには、願作仏、度衆生へといざなう澪標(みおつくし)となるのである。
(教学研究所助手・松下俊英)

([教研だより(171)]『真宗2020年10月号』より)