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【映像公開】【第64回しんらん交流館公開講演会2020/12/17(木)18:00~20:00髙木 慶子さん(上智大学グリーフケア研究所名誉所長)】


生老病死の問いを様々な現場で考え、表現している方を講師に迎え、「老病死」を抱える身として生まれた私たちの存在とはどういうものなのか、そのことをともに考える「しんらん交流館公開講演会」

 

●講  題 新型コロナウイルス感染症の最中で考える「悲嘆」

―親鸞聖人の言葉を中心に―

 

 

 

 

 新型コロナウイルス感染症の最中で考える「悲嘆」-親鸞聖人の言葉を中心に-という講題のもと、髙木 慶子さん(上智大学グリーフケア研究所名誉所長)をお招きし、約40名の聴講がありました。

 

 まず「悲嘆」について髙木さんは、

★今年は新型コロナウイルス感染症の拡大が私たちに不安と恐怖を抱かせております。一方で日本では、広範囲による豪雨被害が続き、世界を見ます時、多くの国では人種差別や自由を求めてのデモが続くなど、重複する災害に人々は苦しんでいるのではないでしょうか。悲しんでいる状態のことを「悲嘆」といいます。

・新型コロナウイルス感染状況の中にあって、全世界の人々が「悲嘆」の中にいる。

→つらい・自由にならない・我慢しなければならない、そしてそのウイルスに感染した人が亡くなっていくという現状にある。

・「悲嘆」とはどういうことなのか?決して、自分の家族や友人、そういった方々を亡くした後の悲しみだけのことではない。

→広い意味では、私たちの毎日の生活は思いどおりにいかない毎日である。

 例:今日は雨が降ってほしいと思っている農家の人→しかしカンカン照りだった。

 例:子供たちが楽しみにしている運動会や遠足の日→雨が降ってしまう。

これが「悲嘆」。私たちの毎日の生活の中で、「残念だな」と思うことは全て「悲嘆」であるとお話しされました。

 

★特にこのたびの新型コロナウイルス感染症は、私たち人類に大きな苦痛と苦難をもたらしておりますが、その感染拡大下にある人類の状況と、このウイルスが何を問いかけ、どのような警告を発しているのか、これらについて考えてみたいと思います。

・新型コロナウイルスがなぜ怖いか?死に至る病であるから。「その死を前にしたとき人は何を思うか?」

・新型コロナウイルス感染症拡大の下にあって、人々はどのような思いで生きているのか。

・このウイルスがいつまで続くのか誰にも予測がつかない。これから先、人々の暮らしにどのような影響を及ぼすのか。どれほどのいのちを奪うのか。大きな不安を抱えての生活を強いられている私たちは、この状況を如何にして乗り越えたらよいのか。

・一方で、感染予防のためにマスクを着用し、手洗いうがいをするのは自分を守るためだけではなく、他の人々に感染させないためであり、これまでとは違う他者への「思いやり」を持って生活するようにと促されているように思える。

これらの行為は、「こころから他者を感じ取る思いやり」であり、その様なこころを私たち自身が持っているのだと気づく機会でもあった。

 

 このように、今、私たちにとって必要な大切な問いかけを投げかけてくださいました。

 また、『歎異抄』の中から親鸞聖人の言葉を取り上げてお話しいただいておりますので、ご視聴ください。

●開催日時 2020年12月17日(木)18:00~20:00 

●講  師 髙木 慶子さん(上智大学グリーフケア研究所名誉所長)

●講  題 新型コロナウイルス感染症の最中で考える「悲嘆」-親鸞聖人の言葉を中心に-

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