これは一体何なんだ
(藤原 智 教学研究所助手)

大学へ入学して以来、長い間京都の地と関わりをもってきた。京都と言えば、少しの散策で数多くの有名な寺社仏閣に遭遇する。けれども、出不精な私は、そのようなところに足を運ぶことはほぼなかった。宗祖の言葉に関心はあっても、その遺跡地に関心はなかった私であるから、いわんや他の寺社仏閣においてをや、である。それが、他宗派・他宗教の方と交流をもつようになり、あるいは真宗史について考える要請がくることで、にわかに様々な関心が起こるのであった。
 
京都で有数のとある寺社に足を運んだ。多くの方が写真などで一度は目にしたであろう所である。私も境内の光景を知識としては知っていたのであるが、直接そこに身を置いて見ると、「これは一体何なんだ」と思わず口をついて出そうになった。見聞の狭さゆえであろうが、真宗寺院に育った私の宗教に対する感覚と異質なものがそこには現出しているのであった。
 
境内には数多くの奉納物があり、それぞれ日付が刻まれている。古いものには明治・大正の元号なども見出されるが、大部分のものに刻まれている年は平成であり、気の早いものでは翌年のものもあった。要するにそれは過去のものではなく、現代のものである。異質さを感じたこの光景を無視したりするのは簡単なのであるが、その態度はこれを現出させている現代の宗教心を見限ることでもある。以前に「門徒の寺離れではなく、寺の門徒離れではないか」と指摘されたことが思い出される。迎合しようというのではないが、自分にとって異質な宗教心について考える必要があろう。しかし、それを考えることにためらいや拒否感もある。そこにあるのは、自分が見限ろうとした心性が、実は自分の中に潜んでいるということを直視したくない、という思いであろうか。
 
昨秋、『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館、二〇二〇年)という、主にアジア・太平洋戦争に至る状況における仏教者・知識人をテーマとした論集が刊行された。その刊行記念として行われた、執筆者五名による座談会がウェブ上で公開されている(https://youtu.be/Fvg3gv1Qtwk)。執筆者の一人である中島岳志氏の発言に、いわゆる戦時教学を、教団の政治的判断とは別に、時代の民衆に寄り添おうとした営為だったとする指摘があった。だから良いというわけではないことは中島氏も断っているが、そう指摘されてみれば、それはとても身に迫ることである。
 
「真宗では」と語る必要は当然あるだろう。だが、現実の心の動きをそれで覆い隠さず、直視することもまた必要である。そこから、真宗を確かめることを思い直したことである。

(『真宗』2021年2月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)

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