気づくということ

著者:田畑正久(佐藤第二病院院長)


これは児玉暁洋先生に教えていただいたことを私なりに理解して申しているのですが、私たちはみんな幸せになりたいと思い、そのためにプラスの条件を増やし、マイナスの条件を減らしていけば、きっと幸せになれると思って生きています。しかし、みんな老いにつかまり、病につかまって、まさに不幸の完成で人生を終わっていくのです。不幸の完成の前に幸せという看板を立てて、不幸の完成を見えないようにしているのですが、実は私たちは不幸の完成を目指して突っ走っているのです。現在の一億二千万人の日本人は、ほとんど「幸せになるのだ」と言いながら、結局、不幸の完成を目指して突っ走り、老病死につかまって、愚痴を言いながら人生を終わっていくことになるわけで、まことに痛ましいことです。私たちの人生は、小さい赤ちゃんの時、本人が生きているのではなく、みんなに生かされているという世界から始まっているのです。やがていつの間にか、その世界を忘れ去って、理性、知性、分別によって自分が主人公になり、結局は三悪道に行きつき、愚痴を言いながら終わっていくのが現実ではないでしょうか。  

 

私たちは多くのものによって生かされていることに気づかなければなりませんが、それはありがたいことだけでなく、逆に環境汚染やいろいろな社会的条件によって、殺されていくかもしれない可能性をも含めて、そういういのちのあり方の事実に気づいていくことを通して、初めて人間になっていき、私が私になっていくことができるのです。そして、そこに本願、「南無阿弥陀仏」が私たちにかけられていることに気づくことができるのです。そしてお互いに、いのちの仲間として、「友よ」という呼びかけを持てるときに、はじめていのちの尊さということが実現できるのではないか、このように私は今いただいております。  

『宗教と教育-人間性の回復を求めて-』(東本願寺出版)より

 


東本願寺出版発行『真宗の生活』(2017年版⑩)より

 

『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2017年版)をそのまま記載しています。

 

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