報恩 為されたことを知る


あるところに、仲のよいサイの夫婦が、いたわりあい、幸せに暮らしていました。

ところが、冬の終わりごろから、およめさんのサイが、病気になって寝込んでしまいました。

ある朝、およめさんのサイが、「あたらしい赤い魚が食べたいわ」と弱々しい声で言いました。夫のサイは、「よし、わしがとってきてやるから待ってろ」と言うなり、川岸へ向かいました。

そこには、前から顔見知りの、カワウソの兄弟がいました。兄のカワウソが澄みきった水の中を大きな赤い魚を追いかけていました。しかし、魚が大きく、力がつよかったので、大声で、「おい、早く力をかしてくれ」と弟を呼んだのです。

兄弟のカワウソは、たいへん仲が悪かったのですが、弟は「力をかしてやるから、半分わけてくれよ」と言いながら、水の中に飛び込みました。やっとのことで、大きな赤い魚を川岸へ引きあげました。

そして、弟は「おれが助けたのだから、半分よこせよ」と言ったのです。すると、兄は「ばかなことを言うな。見つけたのはおれだから、半分はやれないよ」と、魚をまん中にして、おたがいが、口ぎたなくののしりあっていました。

そのいきさつを、じっとみていたサイに、このあらそいの裁判をするようにと、二匹のカワウソが頼みました。

サイが「あなたたち、『おれが見つけた』『おれが助けた』というふうに考えるから、分けまえが多いとか少ないとか、もめごとが起こるでしょ? お互いに『おれが、おれが』をひっこめて、兄の『おかげ』、弟の『おかげ』というふうに、心をぐるりとかえて、ゆずりあったらどうでしょう」と言ったのです。

二匹の兄弟は、その言葉を聞き、争うのをやめ、仲よく魚を分けあったのでした。そのうえ、サイにもかかえきれないほどの魚をあげて…。

サイのおよめさんは、思いがけないほど大きな赤い魚をみて、どんなに喜んだことでしょう。何日もかかって、喜んで食べたおよめさんは、日に日に病気がよくなり、元気になってきました。そんなある日、カワウソの兄弟が見舞いに来てくれました。夫のサイは、「あなたたち兄弟のおかげで、私の家族はこんなに丈夫になったよ」と、うれしそうに言ったのでした。

インドの言葉で、「報恩」とは、「為されたことを知る」という意味だそうです。兄さんが弟の、弟が兄さんのしたことを正しく知り、「おれが…おれが…」という、自分のありのままの、恥ずかしい心を認めた時、相手を信じ、感謝し、報いたいという心が起こったのですね。

『子どもたちと聞く仏さまの教え 仏教ハンドブック』(大谷派児童教化連盟編 東本願寺出版)より


東本願寺出版発行『真宗の生活』(2018年版①)より

『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2018年版)をそのまま記載しています。

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