「得度」
(教学研究所研究員・名畑直日児)

 

寺院に生まれ育ったわけではないということもあり、私自身が真宗大谷派の僧侶となる得度式を受けたのは、二十八歳の夏のことだった。縁あって真宗の教えを聞く家庭に育った私は、自然と京都の大谷大学で学ぶこととなった。そして、特にこれといった明確な理由もなく得度する話となった。それまで往き来していた大谷派寺院のご住職に改めて挨拶にうかがう等、その準備をしながら、自分では気がつかない間に、得度することの意義を感じていくようになった。

 

得度式の当日、賑やかな蝉の声の中、したたる汗をぬぐいながら、本山の門をくぐった。受式後、付き添いで来ていた祖母と一緒に、写真を撮った。先祖も含めて家族の中で得度して僧侶になったのは私一人ということもあってか、その写真を前に、家族みんなで祝ってもらったことが印象として残っている。今、その時のことを思うとすこし涙腺も緩む。

 

私自身、この得度によって、仏法の歴史に参画するのだという、すこし興奮した気持ちがあったように思う。仏法の歴史に対する信頼感とともに、そこに厳粛な時間が流れていることを感じていたのか、衣に袖を通し、仏法僧の三宝に帰依することを誓う時の緊張感を思い出す。この時期の自分は、鬱々とした気分の中で、とにかく救われたいという気持ちばかりで、その答えを仏法に求めていた。その中で、自分だけの救いではない世界や歴史を感じるきっかけを与えてくれたのが、この得度だった。

 

親鸞聖人は、真仏弟子を明らかにするところで、次の文を引用されている。

 

弥陀の弘誓の力を蒙(かぶ)らずは、いずれの時・いずれの劫にか娑婆を出でん、と。
(『真宗聖典』二四七頁)

 

この文について金子大榮氏は、次のように言っている。

 

しかれば「弥陀、弘誓の力をかぶらずば、いづれの時、いづれの劫にか娑婆をいでん」ということは、来生の安楽を期待するよろこびではあるが、それはそのままに、ひるがえって人間生活の罪障をおもいしらしめるものである。
(新装版『親鸞の人生観─教行信証真仏弟子章─』一三一頁、二〇二一年、法藏館)

 

それまでの名前と違う法名をいただいて、僧侶としての人生をはじめるということは、とりもなおさず、私自身がこの世に生まれた意味を問い尋ねる生活をすることでもある。この身と心に煩い苦しむ中で、救われたいという気持ちは、自我に執われた迷いの相(すがた)なのだろうか。「弥陀の弘誓の力を蒙らずは」と言われる、一切衆生の救いを誓う本願との出会いにおいて自分の救いがあるということは、一切衆生の救いを離れて自分一人が救われることはないということである。得度してから現在までの歩みの中でいつも意識していたわけではないが、折々の出会いの度に、このことの意味が問われてきたように思う。

 

得度したことをこうして思う今、私において、生まれた意味を問い尋ねることは、弥陀の弘誓との出会いの中で見えてくるのである。そして、その課題の大きさとの出会いから、深い喜びが生まれてくるのではないだろうか。